行動学

ウンチを食べる犬の話

ウンチを食べる犬の話

  自分もこの年になると、体のパーツにいささか傷みが生じてきている。幸せなことに、今まで大きな病を患うことも、大きな怪我をすることもなく、健康であることがあたりまえの生活をしてきたが、この稼業の常で不規則極まりない暇なし生活に、血圧がうなぎ昇りになってしまった。健康的な生活とはと考える時、「規則正しく、快食・快眠・快便で」などというフレーズが浮かんでくる。これは動物とて同じなのだから、生活を共にする人間のほうが不規則な生活を送っていれば、動物たちも不規則な生活を余儀なくされてしまうに違いない。動物たちの健康のためにも、自分たちは規則正しい生活をせねばなるまい。動物と共に暮らすおかげで、生活が規則正しくなり、自分たちの健康も増進されるなら、本当に良いことずくめではないだろうか。
 
  次のカルテはと手にとると、ビーグル犬のハナちゃん4か月齢。3度目のワクチン接種である。さっそく診察室に入ってもらい、身体検査をし、持ってきてもらったウンチの検査をする。寄生虫卵なく、色形も申し分のない典型的な良便である。十分に良好なコンディションと判断し、ワクチン接種を済ませた。家にも慣れ、家族にも慣れ、幸せいっぱいの、万事良好なペットライフに思えたのだが、ハナちゃんのお母さんが顔を曇らせ、言い出しにくそうに、ぽつりと切り出した。

  「先生、この子実は、ウンチを食べるんです。」

  そこまで出てしまうと、あとは堰を切ったように話が始まった。

  「もう、ほんとに驚きました。ペットシーツの上にウンチしたので、いー子ねーと声をかけ、ティッシュの箱が空だったので新しいのを持ってきて、さあウンチを取ろうと思ったら無いんです。シーツにはウンチのあとが少しついてるし、おかしいなと思いながらハナを見たら、なんか美味しい口してるんですよ、もー。」

  「うれしそうにしっぽ振ってこっち見てるし、まさかと思いながら口のにおい嗅ごうと思ったら、ペロペロ顔なめられて、しっかりウンチの匂いがしたんですよ。ショックー。」

  「これって、病気なんですか。虫わいてるとかって聞いたことあるし。もうーいや。」

  潔癖性のお母さんなのだろう、よほどショックだったのか、声が震えるほどのヒステリックな話し振りに、相槌を打つ間もないほどである。なだめるように、

  「それは食糞症というのですが、いろいろな事が考えられます。」

と、ゆっくり落ち着いた声で、説明をはじめた。子犬の時期に多いこと。なかなか、原因がはっきりしないこと。一般的には

・ 内部寄生虫がいる
・ 消化器系の病気がある
・ 食事の量・内容・栄養が合っていない
・ ストレス
・ 飼い主さんに注目されたい、かまってもらいたい

などが、原因とされているが、これら以外にも、飼い主さんに困る場所で排泄した時に、叱られたために、排泄自体が「叱られること」「いけないこと」と考えてしまい、自分の排泄した便を、飼い主さんに見つからないように隠すために食べてしまう、ということもあると言われていることを説明した。

  「このように、原因も様々ですが、まず行動学的な問題か、内科的な問題かを鑑別する必要があります。」

  「ハナちゃんは、発育状態、元気、食欲に問題なく、内部寄生虫もいません。便の状態もよく、十分な消化吸収が行われていると考えられます。」

  「何らかの行動学的な問題であるか、単に旺盛な食欲から、ふと食べてみたら結構いけた、というようなことかもしれません。ハナちゃんからすれば、なぜいけないの?というくらいの感覚しか無いかもしれないですね。もっとも、お母さんからすれば、ちゃんとした食べ物をきちんとあげているのに、なんて事なの、という思いに違いありませんが。」

  「残念ながら、これで解決!といった特効薬はありません。大変かとは思いますが、排便したタイミングを逃がさずに、淡々と事務的に「サッと片づける」ことが一番です。」

  「嗜好性を高めるために各種のフレイバーが最近のフードには使用されていますので、フレイバーの少ないもの、可消化率が高く便自体には多くの栄養素が残らないようなものに変えてみることも一考です。」

  「食事の与え方にも気をつけ、規則正しく決まった時間に決まった量のいつものフードを与えるようにし、ある程度排泄のタイミングを予測できるようにすることがコツでしょう。」

  「うーん」と、困り顔のお母さんだったが、

  「何ヶ月か食糞をさせないように気をつけていると、動物はいつのまにか食糞することをケロッと忘れてしまうものです。発育が収まってくると、旺盛な食欲も落ち着いてきますしね。」

  そう励ますと、ほっとしたような笑みを浮かべ、

  「そうですね。がんばってみます。」

と、何か吹っ切れたようにハナちゃんの顔にほお擦りをひとつ。

  「そうです。不潔なこと、醜悪なこと、陰湿なことと考えずに、ひとつだけ物事を覚え違えただけ、いつまでも続きはしないと気楽に考えてあげてください。」

  そう診察をしめくくったのだった。

(文責:よしうち)



大阪市の南大阪動物医療センター

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