2003年7月1日
ヘルニア
椎間板ヘルニアの話
出もの腫れもの所嫌わず。というフレーズは、このコラムではもう何度出てきただろうか。少々意味合いは異なるが、臓器の一部,あるいは構造体の一部が正常な位置から逸脱して突出するという異常、すなわちヘルニアも、難儀な出ものに違いない。このヘルニア、要するに「どこかに収まっている臓器・組織が収まっているところからはみ出る」ということなのだから、いろんな種類がある。代表的には腹腔臓器、腸や肝臓などが、例えばソケイ管から脱出したり、会陰部に飛び出したり、時には横隔膜を破って胸腔に飛び込んだりする。それぞれソケイヘルニア、会陰ヘルニア、横隔膜ヘルニアの名称がつくことになる。これに対して、特殊なものが飛び出した場合、飛び出したものが病名になることもある。脳ヘルニアや椎間板ヘルニアなどである。脳ヘルニアは外傷時や脳腫瘍などで大きな圧迫を受けテントという頭蓋骨内の仕切りを越えてしまった状態をさしている。一方、椎間板ヘルニアはというと、いささか詳細な解説が必要となる。ネコでまれな疾患であるが、イヌではヒト以上に多い。そして、ここ何年か確実に増加しており、今後何年か増加し続ける可能性が高い。それは、ミニチュアダックスが愛犬家の圧倒的支持を受け、着実にその数を増しているからだ。
椎間板ヘルニアは文字通り、椎間板を構成する髄核という構造物が飛び出した状態を言う。脊椎は脊椎動物の骨格のそれこそ屋台骨であり、30個ほどの椎骨の連なったものである。そのひとつひとつは線維輪と呼ばれる強靭な組織で連結され、その中心に髄核というゼリー状のクッションを備えている。この線維輪と髄核から椎間板は成り立っているのだ。しかし、この椎間板は年齢と共に変性していく。通常は繊維性変性と呼ばれる変性がゆっくりと起こり、線維性軟骨が髄核に侵入して水分を失っていく。このような椎間板に大きな力が作用して起きるヘルニアは、線維輪が断裂せず変性した髄核が線維輪を押し上げることで脊髄を圧迫するタイプが多い。これに対してダックスなどの軟骨異栄養性犬種では、軟骨性変性と呼ばれる変性が若い年齢から始まってしまう。これは椎間板が水分を失い髄核にヒアリン様軟骨が侵入してくるもので、1歳で全髄核の75―100%がこの変化を起こすといわれている。このような椎間板では常に髄核物質を押し出そうという力が働いているため、線維輪が破れると大量の髄核物質が脊柱管内に脱出し、突然の麻痺や運動障害を起こすタイプが多い。
3日前の夜中の手術がまだこたえていて、自分も年をとったものだと考えながら職員通用口をくぐって出勤すると、看護婦さんが
「院長、リキちゃんがお手をしました。」と嬉しそうに声をかけてきた。
リキちゃんとは、3日前の夜中に手術をして入院しているダックスのことだ。
頚椎の3-4間に大きな椎間板ヘルニアがあり、うまく運動できなくなって来院した。もちろん来院時にはどこに何が起こっているのかは分からなかったのだが、神経学的な検査で頚椎の異常に違いないと診断し、CT検査の結果、椎間板ヘルニアが見つかったのだ。相当に大量の髄核物質が脱出しており、頚髄は脊柱管の端の方に押しやられ、完全四肢麻痺を起こしても不思議のない状況に思われた。
治療には内科療法と外科療法の選択肢がある。内科療法とは、ステロイドで圧迫を受けた脊髄の腫れをとることで、脊柱管内にスペースを取り戻そうという温存的な治療であり、外科療法とは、ヘミラミネクトミーやベントラルスロットと呼ばれる、椎骨をドリルで削り穴を開けて、直接に脱出した髄核物質を取り除こうという治療のことである。
リキちゃんのお母さんと話し合い、温存的な治療ではとうてい改善は望めないくらいに脱出がひどいということで、ベントラルスロットという方法で髄核物質を取りにいくことになった。それが3日前の夜のことである。エアードリルで椎間を削り、背側縦靭帯を切開して脊柱管に到達したと思うが早いか、乳白色の石灰化した髄核物質があふれてきた。管内の髄核物質を慎重に残らず取り除き、術野を閉鎖したときには、もう午前様であった。
いつもは3階の院長室へ直行するところだが、リキちゃんのケージへ向かう。
「リキ!」と声をかけると、嬉しそうに体を起こす。
「おっ、元気になってきたか。」
そう言いながら、扉をあけ、
「お手っ!」と叫んで自分の右手のひらを差し出した。
ああ、何とこの感触のたまらないことか。リキの右手の肉球が自分の手のひらに心地よい。不全麻痺に陥っていたリキの右手が上がったのだ。
「お前はえー子やなー。」
体が回復した上に褒めてもらえるリキは本当に嬉しいに違いない。飛びついてきそうな勢いだ。
院長室に戻ったときには、リキちゃんの急速な回復振りに、自分のこたえたなーと思っていた体まで軽くなっていた。
(文責:よしうち)
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