2003年11月1日
眼科
視力の話
高度経済成長が鈍化し始めた頃からだろうか、ライフスタイルという言葉がもてはやされ、自分自身の生き方や価値観、主張、個性、色々なものにとらわれることなく自由にやりたいと考える人たちが増えてきたように思う。決して悪いことではない。いやむしろ経済的な発展を基に、版で押したような日本人の生活に多様性が生まれてきたことは、自由主義が本当の意味で根付いてきたとよろこばねばならないのだと思う。
最近診療していて思うことなのだが、10年前にはほとんどなかったパターンとして、とっても若いご夫婦?(カップル)が、動物を飼い始めて診療に来られるのだ。実は自分はこの人たちがとても好きなのだ。理由は色々あるが、なぜかこの人たちは人もうらやむような美男美女の組み合わせで、しかも仲むつまじく病院へやってくる。見ていて微笑ましい限りだ。予防の話や食事の話、時には病気の話にも熱心に耳を傾け、しかも既に書籍やインターネットなどで情報はチェック済み。教え魔の自分にとって論理的に物事を話すことができる人たちほど嬉しい存在はない。質問や結果に対する反応もシビアだが、それこそ仕事のし甲斐があるというものだろう。ついつい長話になってしまって予約時間をオーバーしてしまうのが珠に傷なのだが。。。
次のカルテはと手に取ると、ロングヘアードダックスのルルくん。1才。とある病院からの紹介で膝の手術を希望されている。さっそく診察室に入っていただいた。若いご夫婦である。お二人ともどこかテレビで見たことのあるような美男美女だ。礼儀も正しく、とても聡明そうだ。丹念に触診をし、2002年8月のコラム「お皿の話」で書かせていただいたような内容をじっくりと説明し、十分にご理解いただいたようで、ウンウンと頷いてすでに手術を決断しておられる様子だった。ルルくんはというと、「かなりシャイな子かな?」と感じるくらいおとなしく、ダックスにありがちながさつさが微塵もない。お母さんにしがみついてじっとしている。
手術を前提に、術前検査を実施することになり、血液検査、レントゲン検査と、検査を進めていくうちに、「あれ!この子!」と、自分の五感が異変を知らせている。何かが変なのだ。色々なことに対する反応が普通の子とは違う。自分の感じたことを頭が無意識に整理している。表情が乏しいのだ。アイコンタクトがまったく取れない。瞳孔の動きが非常に鈍い。
「えっ、見えてないの!?」
「ルル、ルルちゃん」と呼んで反応を見る。
自分の顔の横で手を振りながら呼んでみる。ルルくんは、まったく自分の顔を見ようとしない。きょときょとと周りの様子を伺おうという動きはあるもののとてもスローなのだ。疑いは確信に変わる。あの若いご夫婦はルルくんの視力について何一つ質問もコメントもされなかったけれど、盲目であることを知っておられるのだろうか。検査の間に買い物に行くと言って病院を離れておられるが、帰って来られるのを待つ気にはなれず、急ぎ携帯に電話した。
「ルルくんのことなのですが、視力が悪いと感じられたことはありませんか?」
「えっ、どういうことですか?」
盲目であるなどとはゆめゆめ思っておられないような受け答えに、急ぎ戻ってきていただくようお願いして電話を切った。
その間に投てき反射の検査をし、眼底をじっくりと観察した。投てき反射とは、動物の顔の前にガラスの板を立て、こちらから動物の顔をめがけて綿球を投げるのである。残念ながら、動物にあちらの壁にある表を見てください。黒いリングが書いてありますね。一箇所切れている所があるのですがその方向を教えてください。などと言ってもこれは無理な話だ。原始的といわれようが、傍から見ればこっけいに写ろうが、獣医さんは大いにまじめなのだ。動物がこちらを見ているときにきちんと視野に入るように綿球を目に向かって投げる。綿球はガラス板にあたってポトリ診察台に落ちる。真剣に何度も何度も繰り返す。ガラス盤は動物がにおいやわずかな風圧にも敏感に反応することを防ぐためだ。それ以外にも、立ち上がって頭くらいの位置で小さな綿花の小片を持ち、持った手を振って動物の気を引く。動物が手のほうを見た瞬間綿花を離すのである。綿花は一片の雪のようにゆっくりと落下していく。タイミングが合えば床に着くまで真剣にその軌跡を目が追うことになる。
残念ながらルルくんは、綿花を持つ手を一度たりとも見ることはなく、投てきされた綿球に一度のまばたきさえもしなかったのだ。眼底鏡で眼球の内側、それも一番後ろ側の部分を観察する。この部分を眼底といい、網膜、タペタム、眼底血管、視神経乳頭などを調べることになる。
若いご夫婦が戻ってこられた。
「先生、ルルは目が悪いのですか?」
不安で胸が張り裂けそうになりながらお母さんが切り出した。
「残念ながら、視力がないと思います。」
「今まで、一才になるまで、ルルくんは視力が悪いかもと感じられたことは?」
お母さんは既に目にいっぱい涙をため、とても返事どころではない。お父さんが後を受けて、
「小さいころからまったくボールを追わない子でした。」
「走るということもほとんどなく、おかしいと思ったことはありました。」
お母さんを気遣いながらも男らしい毅然とした態度だ。
「で、指を目の前に持っていったりすると、ちゃんとそっちを見るので。。。」
「そうでしたか。発育する段階から視力がなければ、それ以外の感覚器官で生活することが普通になりますし、ある日視力が落ちたというのであれば、きっと気づかれたと思うのですが、最初からそうならそんなものかなと誰しもが考えてしまうと思います。」
どうすればこの若いご夫婦のショックを和らげられるだろうかと必死で考えているところに、次の質問が来てしまった。
「治らないのですか?」
「残念ながら。。。」
眼底にはまったくと言ってもよいくらいに血管の走行がなく、視神経乳頭も蒼白化し、とても寂しい眼底像であること。これは
、進行性の網膜萎縮症で網膜が萎縮してしまった成れの果ての姿か、もしくはもともと網膜が形作られなかったかのいずれかであること。網膜がほとんど存在しないということは、光が眼球内に入ってきてもそれを感じて信号を出す細胞がないということを説明した。ご夫婦の顔をかわるがわる見ながら説明をしていて、自分の目頭が熱くなるのを感じてこらえるのに必死だった。なんて優しい愛情にあふれた人たちなのだろう。ルルくんは五感のうちのひとつを授からなかったけれど、それに代えても余りある素晴らしい人たちとのめぐり合いを、天は用意してくださったのに違いない。
「小さい頃から視力なく育ったルルくんとって、視力があるということがどんなことなのかもわからない四感の生活は、ごく自然な普通の生活なのです。ルルくんには決して少しの悲観もないはずですよ。今、お二人はルルくんに視力がないことに気づかれたのですが、それが治らないということに落胆される必要はないと思います。視力のないのは、ルルくんの個性のひとつなのですから、それを理解してあげられるようになったことで不測の事故や怪我を防げるようになったことを喜んであげませんか。」
そう言って説明を終え、お話の間処置ケージでお迎えを待ってくれていたルルくんを、看護婦さんに連れてきてもらった。お母さんに飛びつくルルくんの姿は確かにとても目が不自由とは思えない。大喜びでお母さんのほっぺにキスをしたルルくんの舐めたお母さんの涙の味は、きっと甘かったに違いない。
(文責:よしうち)
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