2004年1月1日
循環器
心臓の話(その2)
年もあらたまり、気持ちも新たに頑張ろうというところだが、世相はどうも余りよろしくない。昨年を振り返っても、明るい話題には事欠いてしまう。その昨年のベストセラーに養老孟司の「バカの壁」がある。「話せばわかる」に一石を投じるような内容には、仕事柄、相当辛く感じる部分もあった。それでもめげずに、今年1年、獣医師の思考回路をわかってもらおうと、このコラム書き続けて行こうと思う。「お付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。」
次のカルテはと手に取ると、友人の動物病院からの紹介のM・ダックスのたく君、4ヶ月令。数日前に友人の獣医さんから電話をもらっていた。
「PDA間違いないと思うんやけど、確定診断と手術、お願いしていーかな?」
これで十分であった。
さっそく診察室に入っていただき、話を始めた。
「○×先生のご紹介ですね。心臓に先天性の問題があるとのことですが、可能であれば手術も希望されていると伺っていますが。」そう切り出すと、
「はい、是非お願いしたいと思っております。」と、きっぱりとした返答だ。
どこまでこのPDAという問題をご理解いただいているか、病気についての一通りの説明とこれから何をすべきかについてのお話をした。
PDAとは動脈管開存症のことだ。犬では最も一般的な先天性心疾患で、胎生期には機能していない肺を迂回するための血管がいくつか存在し、出産後開始される肺呼吸によってその血管が閉じて肺循環が確立するシステムになっているのだが、それがうまく行かない。その内の「大動脈と肺動脈をつなぐ血管=動脈管」が開存してしまっている疾患のことなのだ。この動脈管が生後も疎通していると、肺から戻ってきて全身へ送られる血流の一部が動脈管を通して再び肺へ戻ってしまう。大動脈→肺動脈短絡である。全身へ送り出される血流が不足するのだから、前回コラムの僧帽弁逆流症と同様の症状が出る。さらにそのまま経過すると、肺動脈へ過剰な血流が持続的に流れ込むため、その勢いに負けまいと肺動脈や肺そのものが硬化してくる。すると肺動脈圧が上昇を続けついに大動脈圧と同じになり、そして逆転する。そうなると動脈管の血流が逆方向すなわち肺動脈→大動脈向けに流れ始める。これをアイゼンメンジャー症候群と呼ぶ。ここまで来てしまうともうお手上げだ。そうなるまでに動脈管を閉鎖する手術を実施しなければならない。
「レントゲン写真は送ってきていただいていますので、カラードプラ検査をさせていただきましょう。」
「それで、PDAであることは確認できますし、短絡の方向もわかるでしょう。」
「その上で、今後どうして行くのが良いか話し合いましょう。」
そう話しながら聴診をすると、全周期性の機械様心雑音が聴取され、前胸部に手を当てるとスリルが触知された。「アイゼンメンジャーにはまだなっていない。手術は可能だろう。」そう考えながらたく君とお母さんを伴ってエコー室へ向かった。
まず4腔断面で僧帽弁・三尖弁を確認し、内径短縮率や左房大動脈比などを計測する。カラーをかけてそれぞれの弁に逆流がないかを見た後、大動脈レベルで大動脈弁を確認し、心室中隔欠損がないことも確認する。そして肺動脈レベルで肺動脈弁をチェックして、肺動脈流出路を追いかける。すると肺動脈への暴力的ともいえる血液の流入が、モザイクのカラーフローサインとして描出されたのである。
「PDA間違いないですね。」
短絡部分の描出を試みながら、手術は可能だろうと確信した。
診察室に戻り、手術についての説明を始めた。手術には開胸して糸で動脈管を縛る方法と、俗にインターベンションと呼ばれるダクロン糸をコイルに密生させたものを用いて動脈管の内部から閉塞させる方法がある。最近日本の獣医臨床でもようやく取り組まれ始めた「Interventional Radiology(インターベンショナルラジオロジー)」という専門分野でレントゲンやCT、エコーを用いて経皮的にステントを挿入したり血管を拡張させたりするのだが、まだまだ、実施できる施設や機関が限られていて、残念ながら関西では未だ実施されていないのが実情だ。
「当センターでは開胸下での結紮術になります。実績もかなりあります。インターベンションならば関東の某獣医科大学をご紹介することになります。」
「確かに開胸は大きな負担になりますが、確実です。インターベンションはこれからの分野ということですが、関東にはインターベンションにずいぶん熱心な大学の先生もおられます。」
それぞれにメリット、デメリットがあるが、確実性では開胸下での結紮術の方にまだまだ分がある。しかし開胸することなく動脈管を閉塞できるインターベンションにはたく君の負担を大きく軽減できるというメリットがある。けれども関東への移動が必要なことはそれを大きく割り引いてしまうかもしれない。いずれにしても、動脈管を閉じる際の危険性などある程度のリスクは覚悟せねばならないことは言うまでもない。
術後についても、大抵は憑き物が取れたように元気になり、健康な生活を取り戻せるが、手術実施までの間に心臓に容量負荷がかかっていたことが原因で心筋に強張るような変化が起きていることがある。そんな場合には心臓のコンプライアンスの低下は避けられないだろう。
こんな風に手術に関した様々な情報をお母さんに伝え、手術を実施するのか、そうならばいずれの方法を希望されるのか、最終的にはお母さんもしくはご家族の決断となる。
「客観的な情報は全てお伝えしました。手術の必要性についてはもうこれ以上の説明は不要でしょう。当センターで実施させていただくのか、インターベンションを希望されるのか、お家でじっくり相談されてからお返事をいただけますか?」
「ありがとうございました。家で相談し、お返事させていただきます。」
お母さんの胸元には、何もわからずけな気に話に聞き入っているたく君のご機嫌な笑顔があった。 (次回コラムに続く)
(文責:よしうち)
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