2005年3月1日
遺伝
寿命の話
2月は自分の誕生月だったのだが、とうとう干支が4周してしまい、次の当たり年はもう還暦。年々、時のたつのが早く感じられるようになってきた。いったいあと何年生きられるのだろうかと、いささか心もとない話になってきてしまった。
一般に寿命といえば、人口学的な平均寿命のことになるのだろうか。浅学の極みで、平均という言葉から漠然と死亡年齢を算術的に平均するのかくらいにしか思っていなかったのだが、決してそうではない。ゼロ歳児が年齢別死亡率に従って死亡していった場合に平均何年生存するか、つまり、ゼロ歳平均余命のことを平均寿命と呼んでいるらしい。そして、世界一の長寿国が日本なのだ。男女計で81.9歳(‘02年)、空恐ろしい数字ではある。
ならば、動物は?という話になってくる。ほとんど統計らしい統計はなかったのだが、2003年7月までの1年間を東京農工大の林谷秀樹・助教授が全国調査しておられる。その結果、犬の平均寿命は11.9歳で、性差による平均寿命の差は見られなかった。品種別では純血種が11.3歳、雑種が13.3歳と雑種の方が長生きだった。一方、猫は9.9歳で、こちらは性差があり、オス8.7歳に対し、メスは11.1歳。品種別では純血種11.4歳、雑種9.6歳。とはいえ、これは家庭で人と共に暮らしている敬愛すべき動物たちの話なのだ。
本来、寿命という言葉がさすものは何だろうか。ひとつの個体が老化し生きるための全ての機能を停止するまでの時間のことのように思う。事故にも会わず、疫病にもならず、きちんと栄養摂取ができていても、老化は起こり、やがては死を迎える。この場合の寿命は、生理的限界に限りなく近づくため生理的寿命と呼ばれている。老化が何故起こり、生理的寿命が何に基づくものなのか、未だ結論は出ていない。哺乳動物の多くで代謝速度を基準に考えれば寿命はどの動物でもほぼ一定であることが知られている。端的な言い方をすれば心臓が15億回拍動すれば寿命を迎えるという。また、染色体レベルではテロメアの長さという観点から、体を構成する細胞の分裂回数から寿命が決まるとも、遺伝子研究の成果から、クロック1遺伝子などによる何らかの寿命決定機構が存在するとも言われている。近未来には老化をコントロールできる時代がやってくるのかもしれない。
この生理的寿命の対極に生態的寿命と呼ばれるものがある。野生動物たちの世界では、彼らが生理的寿命に達するはるか前に、生態的な理由で寿命を迎えることになる。それはライオンのような食物連鎖の頂点に立つ動物であっても例外ではない。つまり、老化が始まり、十分に獲物を捕らえることができなくなった時点で、いくら生理的な寿命が残っていても自滅するしか道はないのだ。アメリカの国鳥は白頭鷲なのだが、その保護のために老年性白内障手術のボランティアをする獣医の眼科専門医の話を聞いたことがある。高高度から獲物を見つけ捕らえる白頭鷲にとって、体は健康であっても、視力の低下はすなわち死を意味する。野生動物社会の仕組みには、老化していく仲間に対する救済措置は一切存在しない。群れの中の子供に対する圧倒的な保護システムを持っていることと比べて、その配慮のなさは驚くに値する。動物社会の中では、親は新しい生命を生み育て上げるという役割を果たし生理的な余力を残しつつ世代交代を受け入れるというシステムが、長い進化の過程で形作られている。垣間見る野生動物の社会が常にアクティブなのはこのシステムに負うところが大きいのだろう。
次のカルテはと手に取ると、シーズーのテツくん、8歳。毎月本当にきちんと外耳処置に来てくださっているお母さんは気さくで、動物に対する愛情がいつもあふれて気持ちのいい飼い主さんなのだが、時々一緒にくっついてくるお孫さんが可愛い上に何というかとてもユニークなのだ。利発というか頭の回転が速いというか、猛烈な早口で処置している間中ずっと何かの話をしてくれるのだ。いつの間にか、彼がテツくんと一緒に来てくれるのを楽しみに待っている自分がいる。
果たして診察室に入ってもらうと、お孫さんの彼がくっついて入ってきた。
「おっ、きょうも来たな。」と声をかけると、
「あったりまえやん。ここ面白いもん。」と、間髪いれずに返事が来る。
「きょうは面白いおもちゃはないけど、かしこく見ててくれるかな。」
「んー、それはあかんな。」と、牽制球は忘れない。
「このまえの注射器、お風呂で水鉄砲にして遊んでるやんか。」
と、テツくんのお母さんから制するように助け舟が来た。今年小学1年生の子が興味を引いてくれるような面白いものがそうそう動物病院にあるはずもない。ちょっと窮して、手術用の手袋を風船のように膨らませて、
「これはどや」と手渡した、
「牛のお乳みたい」
と、指の部分が飛び出て丈夫な風船と化したサージカルグラブを嬉しそうに触っている。
その隙にとばかりテツくんの外耳処置を開始したのだった。彼からきょうはどんな難題を持ちかけられるのかと心待ちにしていると、意外やテツくんのお母さんから、
「テッちゃんは人間でいうと何歳になるんですかねー」
と、クロスカウンターのような質問が来た。
少々の質問に動じる自分ではないのだが、この質問だけは苦手だ。何故か20年以上も前から動物病院には犬猫の年齢換算表なるものがあり、動物の年齢を人に当てはめようという試みがなされているようなのだが、出典も不明なら科学的根拠も希薄、出来得ればそれを飼い主さんには見せたくないという強迫観念にさいなまれ続けていると言えばよいのだろうか。性成熟や体成熟、何を根拠にという寿命を定点に均等割しただけの換算表で、20年来更新されていない。更新しようにも誰一人として科学的根拠に基づいて新たにこの表を作成しなおそうという大それた学者さんが出てこないだけなのだ。
「うーん、そうですね。換算表というようなものがあるにはあるのですが、あまり科学的なものではないんですよ。1歳半で成人、6歳からは更年期、10歳超えたら老齢と大雑把な捉え方をしていただけるとよいのですが。。。」
と、歯切れが悪い。次に来る質
問が分かっているだけになお更なのだ。
「あと何年くらい一緒にいられるんでしょうか。」とお母さん。
自分たちにとってこれ以上にプレッシャーのかかる質問はない。お母さんの愛情から出た素朴な質問だけに、自分たちの責任を改めて再認識させられる質問でもある。自分たちの能力だけが動物の寿命を左右するものでないことは言うまでもなく、むしろ、ほんの少しのお手伝いが出来ているだけなのだが、それが短かったときの家族の悲しみを一番良く分かっているのも自分たちなのだ。換算表を手渡しながら、
「10歳を超えてくれれば、十分に長生きですし、きちんと責任を持って可愛がっていただいたと思っていただいて結構ですよ。」と話しかける。
人の生理的寿命を多くの哺乳動物で一定とされる代謝速度から求めると40歳になるそうだ。また、一般に生態的寿命は生理的寿命の半分ほどの長さで、性成熟期間の3倍ほどしかないといわれている。しかし、すでに日本人の平均寿命は80歳を超え、50年後には確実に90歳を超えるといわれている。さらに、疫学調査からはエンドポイントが120歳位になると予測されてもいる。つまり、人は例外中の例外的生物として、非常に長い生理的寿命を持ち、しかも生態的寿命を自らの手で限りなく生理的寿命に近づけることに成功している唯一の種ということができる。これでは、何を根拠に他の種を人の年齢に換算すればよいのか分からない。
お母さんは「そうですか。」と気もそぞろにテツくんの年齢の欄にある人の年齢に目を走らせる。誰もがきっとそうするに違いない。
「あくまで参考程度にごらんになってください。テツくんはすでに更年期にさしかかっていますから、生活習慣病に気をつけないとね。」
と、話題を変えようとしたところへ、
「反対の手袋どこ?この風船もほどいてくれへん。両手にはめてみたいねん」
と、いつものようにお孫さんのテンションがあがってきた。
人は自らの手によって生理的寿命に近づいているのと同様に、自ら愛している動物たちをも生理的寿命に近づけようとしている。そして、それを手助けするのが自分たち獣医師の仕事なのだ。
外耳の処置を終え、もう一方のグラブをお孫さんに渡しながら、
「大きくなったら、獣医さんになろか。」と話しかけた。
自分たちの寿命の話を聞いていたからなのかどうか、
「そやな。分からんけど、ぼくが大人なったとき、せんせ生きてるか。」
と、お孫さんにバッサリやられてしまった。
確かにお孫さんが職業を考える頃、自分が生きているという保証はどこにもない。そのことを厳粛に受け止めた上で、
「(テツくん、君の一生の面倒は、何とか生きてて見られると思うわ。)」
と心の中で話しかけたとき、お母さんに抱かれたテツくんが、
「(それくらいは生きててくれんと困るがな。)」
と、ウインクして励ましてくれたような気がした。
(文責:よしうち)
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