2007年12月1日
ヘルニア
「横隔膜」の話
「出もの腫れもの、処嫌わず。」の話はこのコラムのコーナーでいったい何度出てきただろう。多種多様な出もの腫れものがある中、今回は横隔膜の出ものの話だ。
そのひとつ、「しゃっくり」というのも時に難儀な出ものに違いない。そもそも「しゃっくり」とは何?という話から始めよう。
胸腔と腹腔を隔てる薄い横紋筋でできた膜のことを横隔膜と呼んでいる。この横隔膜に起きるケイレンが「しゃっくり」の正体なのだ。横隔膜は息を吸うときに収縮し、胸腔の容積を増やし、肺を膨らませる仕事をしている。腹式呼吸をしなさいと言われて肋骨を動かさないように意識しても呼吸が出来るのは横隔膜のおかげだ。この時には無意識ではなく随意に横隔膜を収縮させていることになる。この横隔膜に全くの不随意に突然の収縮が起きるのが「しゃっくり」で、たいていはゆっくりした吸気の途中に突然の強い吸気が現れ、直後に呼吸が停止し、半端な呼気に代わる。つまり「スー・ヒッ・ク・ハー」なのだ。
この「しゃっくり」にも原因による分類がきちんとあり、脳の疾患や飲酒による中枢性しゃっくり、肺炎などの呼吸器疾患によって迷走神経もしくは横隔神経が刺激されて起きる末梢性しゃっくり、腹部疾患や急な飲食による胃の拡張によって横隔膜が直接刺激を受けることで起きるしゃっくりなどが挙げられる。
原因さえ分かれば、それを解決することでしゃっくりは止まるのだが、大半のしゃっくりの原因は釈然としないようだ。犬や猫にもしゃっくりはあるの?とよく聞かれる。「もちろんあります。」と答える。長期間止まらずに手を焼いたというような経験はないが、24時間程度持続した動物を治療したことがある。その時はまず過食が原因に違いなかろうということで、プリンペランを投与し、胃腸運動を調節して胃の空虚化を早めた結果、速やかにしゃっくりは止まったのだった。
その時の飼主さんの弁。
「先生、この子に、息を止めなさいとか、コップの水を一気に飲みなさいとか、言うてもできひんやん。どしたらえーんやろ思て。しゃっくりって、止まらへんかったら死ぬ言うやん。」
なるほどそれはその通りと返す言葉もなかったのだが、処置の結果事なきを得、
「食べさせすぎに注意しましょう。」
という平和な結末を迎えた。すっきりした顔でお母さんに抱かれて帰る黒ラブの子犬君の顔を今も忘れることが出来ない。
ふたつ目の横隔膜の出ものの話に移ろう。鼻翼呼吸という言葉をご存知だろうか。鼻翼とは鼻の先の左右両側のふくれた部分つまり「こばな」のことなのだが、犬猫では、両の鼻の穴の外側の部分と思ってもらえればよい。この鼻翼が吸気のたびに拡がり、呼気にすぼまるような呼吸つまり鼻翼を羽ばたかせるようにしながらする呼吸を鼻翼呼吸という。この鼻翼呼吸は呼吸困難の一歩手前、呼吸が苦しくて一生懸命に呼吸しているような時に見られる。それが、交通事故や落下事故後で比較的年齢の若い猫に見られた場合、様々な状況が考えられる中、決して鑑別診断リストからはずせないものに横隔膜ヘルニアがある。
ヘルニアとは「臓器の一部あるいは構造体の一部が正常ではそれらを収容する組織を通過して突出すること」で、横隔膜ヘルニアとは、横隔膜の天然孔もしくは外傷によって生じた裂孔から腹腔臓器が胸腔内に脱出したものをいう。これには先天性のものと後天性のものがあり、その多くは交通事故などの外傷後の横隔膜ヘルニアで、横隔膜の付着が弱い若い猫に発生が集中している。
交通事故後の瀕死の状況で、若い猫に鼻翼呼吸が見られたら、真っ先に横隔膜ヘルニアを疑い、レントゲン検査を実施する。激しい時には胃と直腸、腎臓を除いたほとんどすべての腹腔臓器が胸腔内に突っ込んでいるようなこともある。これらの脱出が確認されればショックの防止なども含めた状態の安定化を図り、安定が得られれば直ちに手術をすべきだ。
肺は腹腔臓器に圧迫され、換気量が減少し、時には挫傷や破裂を伴うこともある。術前術中を通じショックに対する処置、換気と心拍出量の改善、併発する損傷の管理に治療の眼が向けられることになる。そして、無事に手術を終えられたとしても術後に再拡張性肺水腫が起きることもある。再拡張性肺水腫には予防や治療の手立てがないから厄介だ。これらの危機的な状況を乗り越えて、ようやく生還が果たせる。動物にとっても、獣医師にとっても、相当に手ごわい出ものなのだ。
たった1枚の筋肉の膜が果たしている役割は大きい。そして、同じ横隔膜にまつわる出ものでも、しゃっくりのように愛嬌のある出ものから、横隔膜ヘルニアのように命に関わる危機的な出ものまで、出ものにも色々ある。いつか、しゃっくりが出るようなことがあれば、この二つの横隔膜の出ものの話を思い出していただきたい。横隔膜の存在を体で感じてもらえるとても良い機会なのだから。
(文責:よしうち)
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