2009年8月1日
栄養学
ペットフードの話
今から30年も前の話だ。大学を卒業し、インターンといえば聞こえは良いがペーペーの研修医として大阪府立大学付属家畜病院へ入局した。その頃の家庭で飼われていた犬猫が食べていた食事内容は、今から思えばとんでもない、動物たちの栄養学をまったく考慮しない凄まじいものだった。いわゆるペットフードの類は、まだまだ走りで、畜産飼料メーカーや農薬メーカーが副業で作り始めた頃だった。当然、一般家庭にペットフードはほとんど普及しておらず、いわゆる残飯やニャンコ飯が一般的だった。肉食獣であるはずの猫が味噌汁かけご飯をもらい、タンパク質不足をネズミを捕って補う、汗をかかない犬が塩分たっぷりの昨夜の残り物をたらふくもらい、とめどなく肥満する。誰も彼もそれが当たり前で、戦後の経済が復興し高度成長し、動物におマンマを与えられる生活のゆとりを楽しんでいた。良くも悪くものんびりと幸福な時代だったのかもしれない。
そんな時代に、付属家畜病院にトラックが横付けされ、ダンボールケースに入った荷物が次々と運び込まれた。ヒルズのプリスクリプションダイエットk/d缶とi/d缶だった。この時期が日本の動物医療における食事療法の幕開け期だったが、時代を背景にこれらのフードが動物医療に浸透するにはまだまだ時間を要し、せっかく運び込まれたフードも、その時は残念ながら宝の持ち腐れになったことは言うまでも無い。
時は流れ、動物たちが家族の一員として受け入れられるようになり、人と同様きちんとした医療を受けさせたいという時代が訪れた。日本ヒルズの企業努力やライバルの参入、動物栄養学の浸透、人々の飽食への反省、いろいろな要因があったに違いないが、療法食のバラエティーは覚えきれないくらいに増え、動物医療における食事療法は人の食事療法を凌駕し、無くてはならない治療のひとつとなった。
本欄でも保存剤の話や減量の話、予防歯科の話、トペカのニュートリションセンターの話など、ペットフードに関連した話題について比較的多く取り上げてきたが、今月はペットフードを取り巻く話題ではなく、食品としてのペットフードそのものについて考えてみたいと思う。
ペットフードであれ人の食事であれ、食品である以上、消化され吸収されてこその食事といえる。消化率とは摂取した食物が消化され、栄養素やエネルギーとして利用される割合のことだが、ではドライフードと缶詰フードはどちらの方が消化が良いのだろうか。もちろん個々のバラエティーによって一概に決め付けることはできない。ちなみに、ペットフードの平均消化率は、粗蛋白78-81%、粗脂肪77-85%、炭水化物69-79%という報告がある。また、パンやご飯の消化率は80〜85%程度といわれている。
一般に、ドライフードと比べて缶詰フードの方が消化率が高いと考えられがちなのだが、実際にはそうではない。ドライフードの主な製造方法であるエクストルード加工した穀類の炭水化物は小腸でほぼ完全に消化されるといわれている。一方、缶詰フードの場合には原材料の種類や加工法によって消化率がさまざまに変化するため、適切な調理加工法が求められる。
この消化率の問題は、消化不良を伴う胃腸障害における食事や、高齢期の食事で重要といえる。蛋白質の消化率が87%以上、脂肪と炭水化物の消化率が90%以上のものを高消化性フードと呼ぶことになっているらしいのだが、先ほどのペットフードの平均消化率と比較すると格段に高い数値だ。ヒルズi/dなどの消化器疾患用の食事療法食などがこの高消化性フードの代表といえる。
漠然とお腹をこわしたら消化の良いものをというのは分かっていても、きちんと消化率を考慮した食事療法をするのは難しいものだ。さらに、消化不良を伴う胃腸障害かどうかを見極めるのはさらに難しい。また、繊維質がゼロの食事では、うまく便の形を整えるのが難しいため、i/dには可溶性繊維が配合され、消化率を落とすことなく繊維質の働きを持たせてある。この可溶性繊維は腸内の細菌の働きによって短鎖脂肪酸に変化し、腸粘膜に直接取り込まれてその場で栄養として利用されるというメリットも併せ持っている。
一方、細菌や不適切な食物による大腸性の下痢の場合には、消化率の問題よりも、繊維質の割合が重要になってくる。可溶性繊維が発酵性なのに対して、セルロースに代表される不溶性繊維は消化されること無く、発酵に対して抵抗性を持っている。そして未消化の食渣や腸内細菌、毒素、水分を吸い取り立派な便を形成する。また不溶性繊維は物理的に消化管に刺激を与え、神経―筋―内分泌による消化管運動の調節を正常化する作用も併せ持っている。その代表がw/dなどの高繊維質フードだ。
このように食事療法論的には、お腹をこわしたといっても、消化不良を伴うような小腸性下痢の食事と大腸性下痢の食事では、望ましい食事のタイプが異なることが分かる。したがって実際の日々の生活の中では、お腹の調子を毎日観察することの方が大切で、お腹をこわしたということになれば、成犬・成猫なら1食くらいは抜いてみて、日ごろから与えているドライフードがきちんと質の高いものなら、その後、少し控えめの量で与え始めると良い。消化の良いものを与えたいからと、その時だけ缶詰フードを買ってきて与えたりすると、反対に日ごろより消化率の悪いものを与えていることになりかねない。缶詰を与えると決まって下痢をする動物では、日頃食べているドライフードよりその缶詰の方が消化率が悪いのかもしれない。いずれにせよ、大半のドライフードはそれなりに高い消化性があり、むやみに食事を変更せずに、簡単な絶食と量の調整にとどめる方が無難といえる。それでも頑固に下痢が続くなら、食事療法も含め獣医さんに相談するのが賢明といえる。
30年前のペットフードと現在のペットフード、見た目に大きな変化は無いのかもしれないが、嗜好性や性能はまったく別物といっても良いくらいに進化している。たかがフード。されどフード。「ペットフードなくして動物たちの健康な生活はありえない」というのが、30年を経た自分の実感なのだった。
(文責:よしうち)
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