2009年11月1日
行動学
「アキータとロットワイラー」の話
体育の日を含む連休のさ中、とても悲しいニュースが繰り返し流された。4歳の子供が、おばあちゃんが世話をしている2匹の犬たちに咬み殺されたというのだ。ニュースキャスターやコメンテーターは思い思いの感想を述べ、防衛本能の問題とか、しつけの問題、繋留の問題などと、問題の本質の的を射ていない。子供さんのご冥福をお祈りするとともに、おばあちゃん、ご両親、ご家族の無念の思いをお察しし、また、2匹の犬たちの今後の境遇についても同情を禁じえない。さらに言えば、過去の同様な不幸な事故の教訓や、動物行動学の進展とそれに伴う有用な数々の知見が今回の事故に生かされず、発生を防ぐことができなかったことは、動物に関係した専門職の立場として、さまざまな問題の啓発や普及に対する力の不足と、自戒の思いに打ちひしがれている。
自分には52歳の今日までで、職業柄、動物に咬まれ引掻かれ受傷した経験は数知れない。その中で、2回だけ大型犬に襲われ、恐怖を覚えたことがある。小学生のときに秋田犬に押し倒され顔面にかぶりつかれた時、獣医師になって狂犬病の集合注射に出務し会場でチャウチャウに背後から飛びつかれ膝に咬みつかれた時の2回だ。
その後、1997年頃だったと思うが、Dr.レイスナーという女性の動物行動学者のセミナーに出席し、新しい学問の夜明けを実感し、数々の疑問が氷解した喜びを今でも鮮明に覚えている。折りしも、その講義の中で示された犬の問題行動のテーマのひとつが「攻撃性」であり、症例として紹介された犬種が、ロットワイラーとアキータだった。
この2種類の犬種に共通することは、非常に飼主に従順であること。「アキータ」は言うまでもなく日本の秋田犬で、非常に攻撃性の高い犬種としてその当時米国内への輸入が禁止されており、米国人マニアの中では、飼主の命令以外聞こうとしないアキータは垂涎の的だったらしい。
またロットワイラーは当時全米No.1の人気犬種だったものの、レイスナー先生のカウンセリング業務中最も相談頻度の高い犬種で、犠牲になった子供たちの数が半端ではなかった。悲劇的な問題行動をとる犬種の代表として、実例がいくつか示された。お父さんと幼児、ロットワイラーの三者が居間でくつろいでいる。しつけもきちんとできた犬で幼児が鼻をひねろうが、頭をたたこうが気に止める素振りもない。玄関の呼び鈴が鳴り、お父さんが1―2分席をはずした瞬間に悲劇が訪れる。居間に戻ったお父さんの眼前には信じられない光景が展開しているのだと。
このロットワイラーの攻撃性に関する行動学者としての分析は、「捕食行動」というものだった。元来きちんとしつけられたロットワイラーは人に危害を加えるようなタイプの犬種ではない。むしろ従順で利発、そこに大きな落とし穴がある。問題は、彼らの眼に幼児がどう写るのかということで、レイスナー先生の研究では、人間の子供だとは理解されていないだろうということだった。自分のご主人であるお父さんが大切にしている別の生き物。ヨチヨチ歩く姿は格好の獲物そのもの、捕食せよという内なる本能を刺激し、襲いかからずにはいられない。捕食後にご主人に対し、獲物を捕まえたよと自慢げに差し出すような行動をとるロットワイラーもいるという。例えは悪いが、猫がネズミやカエルをくわえてきて誇らしげに見せびらかすような行動だ。
レイスナー先生は話を続ける。12歳未満の子供をロットワイラーの前でひとりきりにしてはいけない。どんなに飼主が心が通い合っていると信じるロットワイラーであっても、子供を差し出すようなものなのだと。彼らにとって子供は「子供という名の別の生き物」で、決して「幼い人間」だとは理解していないのだから。
本コラムが今回の事件の関係各位に不愉快な印象を持って受け取られるのであれば、心よりお詫び申し上げ、ご容赦を賜りたい。同じような悲劇を決して繰り返してはならないという思いから、あえて書かせていただいた。
飼育動物の多くは伴侶動物として人と共に暮らすことで、人にも動物にもより幸福な生活をもたらすのだと信じている。自分に今回の事故の詳細を知るすべはないが、彼らは家族であり伴侶ではあるが、犬という家族であり犬という伴侶であって、決して人ではない。互いの幸福な生活のために、家族なればこそ擬人化するのではなく、犬という動物の視点に立って危険を未然に防がねばならない場面があることを、そして、家族として理解しておかねばならないことがあることを、片時も忘れるべきではないだろう。
このような事故が2度と繰り返されることの無いようにと念じつつ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。(合掌)
(文責:よしうち)
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