2012年10月1日
人と動物の関係学
「心を寄せる」の話
今年も9・11は当たり前のようにやってきた。N・Yの惨劇の映像は今なお脳裏に焼き付いている。そして奇しくもその日が3・11の1年と半年後であることが、受難・惨劇・恐怖などのキーワードとともに同時に呼び起こされるのは自分だけではないだろう。その震災から1年半が経過する少し前、1枚の写真が話題になった。話題の主は台湾のPCメーカーASUSのパソコン基板。パソコン基板はパソコンの主要部品でケースに組み込まれていて、余程のマニアでもない限り目にすることはない。その何の変哲もないただのパソコン基板に、よく見ると小さな字で「God Bless Japan(日本に神のご加護を)」と祈りの言葉が印刷してあったのだそうだ。ASUSはその事実を全く知らず、印字は同社の技術者が独断で行ったことで、誰かは特定できていないがたぶん日本の一日も早い復興を祈ってやったのだろうとのことで、本件は黙認しているとのこと。われわれの知らないところでこんな思いが寄せられていたことに胸が熱くなった。あわせてASUSの社是が謙虚、誠実、勤勉と知り、企業人本来の資質を説く会社の姿勢に頭が下がる思いだった。
話を社会から個に移すと、われわれの仕事の現場では日常的に病(やまい)という受難が動物たちの身に降りかかっている。治療で事なきを得る場合も多いが、腎不全などの慢性疾患や癌などの難治性疾患では、あらがうことのできない病魔に打ちひしがれることになる。この場合の我々の目標は、完治ではなく、動物たちに残された時間をいかに快適に長く送らせてあげるか、いわゆるQOL(Quality of Life)の維持に移ってゆく。
次のカルテはと手に取ると、慢性腎不全のニャン太くん。14歳の日本猫で、定期的に点滴に通ってもらっている。経過も長く、ここのところ検査の数値もいまひとつで、食欲も振るわず、体重も減少傾向にある。このはかばかしくない状況にお母さんの表情も暗くなりがちで、気が付くと主治医である自分の表情も曇っていることが多い。
診察室に入ってもらい無理に明るい表情を作って、
「どうですか? 食べてくれましたか?」と問うと、
「さっぱりですねー。」と作り笑いを浮かべるお母さん。腎不全を抱え、ニャン太はいつまで生きられるのだろうかと、明るい未来を描くことのできない辛さがにじむ。
その会話を続けながら、ニャン太もお母さんも勝手知ったる段取りで、いつもの皮下点滴が始まった。
「ニャン太は機嫌もよさそうですし、嘔吐とかはないですよね。」と尋ねると、
「食欲がないこと以外は、全然いつもと同じです。」とお母さん。
「それならいちど強制給餌をしてみましょうか。」と提案してみた。
怪訝そうな表情のお母さんに、
「見た目はちょっとかわいそそうなんですが、食べたいけどどうもその勢いが出ないみたいなときに、強制的に口に軟らかい食べ物を入れてあげるんです。」
「えっと思われるかもしれませんが、意外と嬉しそうに飲み込んでくれることも多いんですよ。」と説明する。
「そんなことができるんですか? どんなものか分かりませんけど、食べないと元気も出ませんから、一度お願いします。」と不安半分、期待半分といった感じでOKのお母さん。
ついてくれている看護師さんにa/dを40gお願いして、点滴が終わるのを待った。
そして点滴が終わり、針を抜いたところで、もう出番はないと知っているニャン太は今日のお勤めは終わりみたいな顔をしてキャリーバッグに入ろうとしていた。
そこへa/dが美味しそうなにおいを漂わせながら運ばれてきた。
「ニャン太、きょうはご褒美があるよ。」と話しかけ、芳香に鼻翼がヒクヒクと反応している ニャン太の保定を看護師さんにお願いする。
ヒルズのa/dというのは衰弱時や回復期に与えるための高栄養の缶詰で、温めて練るとドロッとした反流動状になる。それを10mlのシリンジにお尻から詰め込み、頭を支えながら、口の横から適量ずつ舌根あたりに押し出してあげると、最初はえっというような表情を浮かべたニャン太も、すぐに上手にゴクンゴクンと飲み込み始めた。
あれよあれよという間に、10mlのシリンジは空になり、ちょっと休憩。次の10mlを準備し与え始めると、待ってましたというように飲み込んでくれる。看護師さんも、
「ニャン太、ちっとも力が入ってないねー。美味しいね!」と応援。
ものの数分で40gのa/dを平らげ、長い舌をペロリペロリと左右に動かし、超満足げな「美味しい口」をしている。
あっけに取られて見ていたお母さんも、
「ニャン太、よかったねー。」とウルウル顔。
いつもはあまり好きではない診察台の上が、自分ちのいつものお気に入りの場所になったようなリラックスぶりで、誇らしげに「美味しい口」を何度も披露するニャン太に、久しぶりにお母さんの顔もほころんでいた。
「この強制給餌が呼び水になって家でも食べてくれると良いのですが。」と話しかけると、
「うれしいですー。食べなかったらまたお願いします。」とお母さん。
今日の診療で一番うれしかったのはニャン太よりもお母さんだったのかもしれない。
栄養を与えるという誰にでもわかる地道なことを謙虚に、ニャン太のために心を寄せ誠実に行うことで、ニャン太にもお母さんにも通じたことが今更ながらに嬉しかった。
(わが家の愛猫ニノの「おいしい口」連写)
(文責:よしうち)
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