2002年11月1日
繁殖学
乳母になれる犬の話
「想像」と「いつわり」は似ているようで、これはかなり違う。5年後の子供の姿を想像するのは、楽しいことだ。無理に大人ぶった仕草で煙草を吸う子供は、いつわりの大人になろうとしているのかもしれない。
いつわり=偽=pseudoという接頭語を持った医学用語はいくらでもある。偽メラノーシス、偽貧血、偽細菌、偽乳び、偽昏睡、などなど。
「偽妊娠」もその最たるものなのだが、どうも「偽」という言葉は受け入れにくいのか、「想像妊娠」があまりにもインパクトのある言葉なのか、身近なのか。
「偽妊娠」という言葉を使い、噛み砕いて「ウソの妊娠ですね」といっても、99%の飼い主さんから「ああ、想像妊娠ですか。」という返答が帰ってきてしまう。「いえいえ、決してこの仔は自分の赤ちゃんがほしいなどとは思っていないのですよ。」「母として、立派に子育てしている姿を思い描いているわけでもないのです。」と、あまりにも「想像妊娠」という言葉が安易に受け入れられていることに困惑を隠せない。いったい何人の想像妊娠の状態になった知り合いの方をご存知なのだろう。幸か不幸か、私自身、45歳のこの年になるまでただの一人も「想像妊娠」した方を存じ上げない。見識不足なのかもしれないが、もしこのコラムを読まれた婦人科の先生がおられるなら、「想像妊娠」なるものが、いかほどの頻度で認められるものなのか、どの程度の妊娠兆候を示すものなのか、ご教授頂ければ幸いに存じます。
次のカルテはと手に取ると、シーズのミコちゃん4歳。問診表には、「熱っぽくしんどそう。食欲がない。」とある。さっそく診察室に入ってもらい、話を聞きながら身体検査を始める。体温は39.8℃、心拍は120回、触診をしようとお腹に手をやると、熱っぽく張りがある。あらあらと思いながら、腹部臓器を触診するが、特に異常はない。
「お母さん、ミコちゃんを仰向けに寝かせてみてもらえますか?」
看護婦さんに手伝ってもらいながらミコちゃんは仰向けになった。4対のピチッと張り詰めたオッパイは紅潮し、熱感がある。
「お母さん、見ていて下さいね。」
と言いながら、片側の第4乳腺をやさしく圧迫すると、ピューっと乳汁がほとばしった。
「あら、お乳が出るわ。」
と、素っ頓狂な声でお母さんが驚いた。
「お乳が張って、熱を持って痛みもあるのでしょう。赤ちゃんがいて、吸ってくれればいいのですが、残念ながら、お腹には赤ちゃんはいませんね。」
「ミコちゃんは、偽妊娠と言う状態なんです。」
すかさずお母さんの「想像妊娠ですか?」の突っ込みが入る。
「いえ、想像妊娠とはだいぶ違うのですが…」
と口ごもりながら、どうにか話を始めたのだった。
そもそも、人の生理と犬の生理には大きな違いがある。人には休止期というものがないのだが、犬にはおおよそ4―8ヶ月の休止期が存在する。漠然と、人は毎月、犬は半年に1度という風に思っておられる方は多いだろう。一回の生理には極端な違いはない。ただ、犬は1回の生理が終わるとお休みがあるのだ。人がお休みになるのは、不順な場合を除けば妊娠したときと閉経のときだけである。
このお休みが、良くも悪くも、いろいろな問題の元なのである。ひとつは、特定の季節に発情期があるのだろうという誤解である。犬も奈良公園の鹿も、単独で生活していれば、自分のリズムで、次の発情が来る。犬なら、個々に4―8か月のサイクルを持っている。老齢化して延長することはあっても1年までで、無くなることはない。これが、集団生活を始めるとそうは行かない。言うなれば「生理が移る」のである。一人の発情臭が次の発情を呼び、次々と伝染するのである。結局、集団全体が発情することになり、一定の妊娠期間を経て出産ラッシュを迎え、集団で子育てをすることができるのである。これを性周期の同期化と呼んでいる。
一般の家庭で飼われている状況は、完全な集団とも言えず、単独ともいえない状況がある。たとえば、発情後3ヶ月ほどで、公園で発情した友達と会ったりすると、本来の発情はまだまだ先なのだが、同期化が起こることがある。同期化が起こると、発情が始まり、交尾も可能となる。しかし、休止期間が短かすぎたために排卵が起こらず、交尾しても妊娠できない「一回だけ不妊」の状況に陥る。たまたま交尾があったりすると、その後、妊娠兆候が現れ、2ヶ月の妊娠期間を経て泌乳が始まり、体は本当に妊娠したときと何ら差のない母体としての変化を遂げる。ただ、赤ちゃんがいないだけなのだ。これを偽妊娠と呼んでいる。この偽妊娠の状況になった動物は、集団で生活していれば、同期化の結果一斉に生まれてきた他のお母さんの赤ちゃんにお乳を飲ませられる乳母の役割を担うことができる。
この「1回だけ不妊症」以外にも、発情がくる度に偽妊娠を起こし、発情後2ヶ月ほどするとお乳が出始める、万年乳母係の星の下に生まれたワンちゃんもいる。これは休止期黄体から分泌される黄体ホルモンに対する過大な感受性によるものだが、発情する度にお乳が出始めるのだから、本人もたまらない。年に2回はお乳が張ってフーフー言わねばならない。最近では、乳腺の過形成から乳癌へと進行する可能性も指摘されている。
いずれにせよ、偽妊娠は限りなく真の妊娠に近い不妊なのである。神から授かった集団の智慧と言えるかもしれない。現在、家庭で暮らす犬たちには不要で余計なことなのかもしれないが、必ずしも病的とは言えないのである。
「お乳が張っているからと言って、搾ってあげると、余計にお乳が張るようになるので、なるべく搾らずに濡れタオルなどで冷やしてあげてください。ずいぶん楽になります。」
「1ヶ月ほどでおさまりますが、時には乳腺炎を起こすこともありますので、お乳はよく観察してあげてください。」
「生理が来るたびに、お乳が出るようになるのなら、乳癌のことも含め、不妊手術をしてあげるほうが良いでしょう。ミコちゃん自身も楽になりますし。」
「今回初めてお乳が出るようになったとのことですので、次の生理でお乳が出るようになるとは限りませんが、そのこととは別個にやはり子供を生ませる予定がないのなら、不妊手術はお勧めしておきます。」(ニュータードとインタクト参照)
「ありがとうございました。偽妊娠のことも良く分かりました。」
ミコちゃんのお母さんのホッとしたような笑顔の横で、ミコちゃんはペロリと自分のお乳の味見をした。それを見られていたのに気づき、照れくさそうにお母さんに飛びついたのだった。
(文責:よしうち)
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