2003年4月1日
栄養学
ダイエットの話(その1)心情編
今やダイエットというのは、一大産業といっても過言ではない。サプリメント、ダイエット法の書籍、痩身美容、トレーニングジム等々、関連する企業の数など数え切れないに違いない。自分はといえば、開業した20数年前と比較して体重が20kg増え、ダイエットと聞いただけで、情けない気持ちでいっぱいになる。動物たちの肥満について如何に正しいことを書こうが、熱弁を振るおうが、自分のおなかを見られただけで、間違いなく信憑性が無くなってしまう。その卑屈さゆえか、このコラムでもダイエットを取り上げたことはなかった。そんな自分に対する宣戦布告の意味も込めて、今月はダイエットの話を書いてみようと思う。
次のカルテはと手に取ると、日本犬のハナちゃん、8歳。後足を痛がるとある。あーあのハナちゃんとすぐに思い出した。柴犬くらいの大きさの犬なのだが確か体重が25kgを超えていた。関節に問題が出ていなければいいのだがと思いながら、看護婦さんに名前を呼んでもらった。ハナちゃんが歩いて入ってくると思い、歩様を観察しようと構えていたら、お母さんに抱っこされて入ってきた。お母さんの額には春まだ遠しと感じるこの寒さの中、玉の汗が光っている。
「どちらの足が痛いのですか。」とハナちゃんのお母さんに尋ねた。
ハンカチで汗を拭き拭き答えようとするお母さんの息が切れ、ちょっと休憩と目が訴えている。
「まあ、そこに掛けていただいて休んでください。」
診察台の横のいすを手で示しながら、ハナちゃんに目を移す。
ハナちゃんは診察台の上でしっかり4本足で立っている。これなら大きな問題はないだろうと考えながら、抱っこして台から降ろし、診察室内を歩かせてみる。確かに右後肢をかばった様な歩き方だ。
「おかあさん、右足ですよね。歩けてはいますので大きな問題はないと思いますが、念のためにレントゲンを撮っておきますね。」
そう言うと、お母さんは大きくうなずいたがまだ声は出ない。ハナちゃんも重かったのだろうが、おかあさん自身も十分すぎる体重の持ち主で、そちらの方も心配になってくる。股関節・膝関節を入念に触診し、以前にこのコラムでも書いた膝蓋骨の脱臼もなかった。両後肢の前後像と側面像を撮影した。骨折は見られないが、膝関節の十字靭帯に石灰沈着が見られ、その付着部もエンハンスしている。これは相当関節に荷重がかかっているに違いない。幸いなことにオステオファイトといわれる骨のトゲは形成されておらず、変形性関節症にはまだ移行していない。今回の跛行は軟組織、多分十字靭帯のわずかな損傷だろうと考えた。
「おかあさん、ハナちゃんの足はもう少し様子を見ていただけば直ると思いますが、このままの体重で生活すると、いずれ十字靭帯の断裂を起こしたり、変形性関節症になってしまう可能性が大きいですね。」
「前からもお話しているように、何とか体重を落とさないとまずいですよ。」
「そうですか。がんばっているんですけどねー。」と、やっと息切れから回復したお母さん。
どうもおかあさんの視線が自分のおなかに刺さっているようで、居心地が悪い。あえてそれを振り払い、ダイエットの話を始めた。まず、間食の有無を問うが、たいていはほとんどありませんという返事しか返ってこない。
「でも、ハナちゃんが欲しがったら、ちょこっとはあげますよね。」と水を向けると、お父さんが多いんですよと話し始める。
結局家族ぐるみで食卓からハナちゃんの口へは相当な量の食べ物が運ばれており、家族の食事が終わるまでフードには口を付けようとしないらしく、大量のフードが常時お皿に盛られているという状況のようだ。たしかに、誰かが食べ物を与えるとその人の膝元に張り付いてお愛想をする。残った家族はついヤキモチを焼いて結局自分も与えてしまう。そんな悪循環が何年間もめぐりめぐっているのだ。しかも、その根底には、フードのような不味そうなものは可哀想という、感覚的なフード嫌悪が隠れている。これは一筋縄ではいかないと腹をくくる。
「そうですか。ハナちゃんが痩せるには厳しい状況ですね。食事時にハナちゃんを別の部屋に居させるとかは、無理ですか。」
別の部屋にやるとハナちゃんは家を破壊するくらいの武力行使に出るのだそうだ。色々とやったんですが、というおかあさんの涙ぐましい努力物語がひとしきり続いた。
「わかりました。でも何か考えないとハナちゃん自身が困ることになりますからね。」
そういいながら、ハナちゃんの家族が間食を与えないという日は永遠に来ないだろうという確信が芽生え始める。いくら今厳しい言葉で間食はだめ、食事は別にと繰り返しても、受け入れられることは無いに違いない、ならば、間食は良いが、何でも良いというわけではない、これを間食として与えてくださいと免罪符を授ければ、何とか受け入れてもらえるかもしれない。人間というものは、ダメ出しばかりでは最終的にさじを投げてしまって元の木阿弥になってしまう。
「動物病院向けの歯科用チューがあります。カロリーゼロで基本的にいくら食べても太ることはありませんし、歯垢分解酵素がしみこませてあって噛むことで歯石予防になります。多くのワンちゃんが好んで噛むようにこさえてありますので、それを唯一与えても良い間食ということにしましょう。」
そう言ってチューをひとつ看護婦さんに持ってきてもらってハナちゃんの鼻先に近づけた。ハナちゃんは、十分な興味を示してくれている。
「やってみます。」目を輝かせて、お母さんが答える。
乾物のようなチューが噛むほどに湿り、軟らかくなってチビていき、おしまいにはゴクンと飲み込んでしまいますと説明を続けた。いくらハナちゃんの好物が食卓にならんでも、チューしか与えないこと。それで十分ハナちゃんも納得してくれるようになることを話し、
「はじめが肝心ですから、家族の皆さんが一致団結して抜け駆け禁止を守るようにしてください。」と続けた。
これで、どうにか間食の問題はクリアできるかもしれない。間食を与えてしまうということの本質は、ハナちゃんが努力すれば(つまりワンワン鳴いて欲しがれば)間食はもらえるのですよと来る日も来る日も繰り返すことで、結局、家族みんなでハナちゃんの欲しがるという行為を強化してしまっていることにある。そうなってしまえば、ますますハナちゃんは強くアピールするようになり、家族が根負けしてさらにその行為を強化し続けるという悪循環が始まる。努力の結果がいつもチューという状況は、間食を欲しがるという行為自体がなくなることはないだろう。しかし、それで家族の気持ちが済み、ご飯時にたった1枚のチューで欲しがることをやめるようになってくれれば、強化された行為も徐々には緩んでくるだろう。この段階が成功すれば、きちんと規則正しく決まった時間に決まった量のフードを食べるという食生活を取り戻すことができる。そうなれば、あとは栄養学的なアプローチで減量を成功に導く勝算があるのだ。
「おかあさん、それじゃあまた1ヵ月後に来ていただけますか。」
「毎月、ここで体重測定をして、減っていれば一緒に喜び、増えていれば一緒に悩みましょう。とにかく、何か励みになるようなことがないとなかなか生活を変えることはできないですから。」
「来月に来て頂いた時、間食の問題が解決していれば、こんどはダイエットのための食事療法のお話をしましょう。何とかがんばって成功してください。」
そう言って、ハナちゃんとおかあさんを見送ったのだった。(来月のコラムに続く)
ところで、自分自身の減量はといえば、既にこの段階で失敗している。生来の酒好きで、飲まねば間食もなく食事の量もごくごく控えめなのだが、飲んでしまうと歯止めが利かない。それなりに食べ、酒の肴のカロリーも高い、何より酒そのもののカロリーがどうにもならないのだ。何が自分の酒を飲むという行為を強化しているのか。胸に手を当てて考えてみようと思う。
(文責:よしうち)
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