歯科

歯からウロコの話

歯からウロコの話

 「スケール」という言葉をきいて、何を連想される方が多いだろうか。「はかり」だろうか、それとも「あの人はスケールの大きい人だ」というように「尺度」ということだろうか。「ウロコ」と答える方は多くはないだろう。Scaleという単語を辞書で引いてみるとこの3つが主な訳語として出てくる。そして最後の方に、「ボイラーにたまる湯あか」「歯石」とある。英語の語源となると調べるのはかなり厳しいが、「湯あか」にしろ「歯石」にしろ、確かに「ウロコ」のように剥がれ落ちて、似ているといえば似ているのだ。

  そこから「Scaling=スケーリング」歯根表面の歯垢・歯石などを除去し、表面を滑らかにすること(大辞林)/歯科において,特殊な器具を用いて歯冠および歯根から付着物を取り除くこと(ステッドマン医学大辞典)となる。

  最近ハマっている「ヘラぶな釣り」。浮子の動きに右往左往させられながらも、そこがまた楽しいものだが、得てして大きな浮子の動きは「スレあたり」であることが多い。その動きを見過ごせずに竿を立てるとすかさず横から「今のはスレやで」と仲間の声が飛んでくる。スレあたりとは餌を食べにきたフナに見切られ針の近くを通過されてしまうときに糸に体の一部が触れて出るあたりのことで、これに反応しても釣れることはまずない。釣れても口に針がかかっていなければ0点、目にかかっていれば―1点が自分たちのルールだ。「ほんま、スレやったわ」と、証拠のウロコが針先に1枚かかっている事もある。こんなスケーリングはほめられた物ではないが、その釣りの話ではなく、今月は歯科の話と行こう。
  次のカルテはと手に取ると、ヨーキーのロン君、9歳。目の下が腫れていると問診表に記入がある。さっそく診察室に入ってもらった。

  「先生、ここなんですけど、急に腫れてきて。」とお母さん。

  左の下まぶたの少し下のほほ骨の辺り、ちょうど涙ぼくろと呼ばれるほくろのできる位置がぷっくりと腫れ、中心は暗い紫色に変色して痛々しい。

  「これは痛いですね。」

  「ええ、元気もないんです。」

  「以前から口臭はありませんでしたか?」

  「はい、お口はとってもくさくて。それと関係があるのですか。」

  「そうだろうと思います。今から診てみましょう。」

  そう言いながら腫れている側の上唇を指で持ち上げ、臼歯の付け根を観察する。少し痛いですよ、と言いながら腫れている部分をそっと圧迫する。大量に歯石が付着し後退してしまった歯茎のポケットからわずかに膿汁が滲みでた。

  「間違いないですね。先に処置をしてそれから説明しましょう。」

  そう言って、腫れた部分の中心を探触子でポンと突いた。中心部分の皮膚はほとんど壊死していて痛みもなく穴が開き、膿汁が溢れ出た。生理食塩水を注入して洗浄し、次に臼歯側からも注入した。洗浄液が皮膚側から流れ出る。完全に疎通しているのだ。洗浄液が濁らなくなるまで何度か繰り返した。

  「抗生剤を処方しますので飲んでください。明日にはすっかり元気になると思います。」

  「でも、原因がなくなったわけではありませんので、早々にきちんと処置をした方がいいですね。」と説明を続ける。

  こういう状態を裂肉歯症候群もしくは第4小臼歯症候群といい、歯石の付着→歯肉の後退→歯周病→歯根端膿瘍と続く、一連の問題であること。小臼歯の歯根端に生じた化膿が激しくなり、溜まった膿が行き場を失って頬骨側へ瘻管を形成して排膿しようとする。根治的には、患歯は抜歯し、すべての歯に付着した歯石を除去し、再付着をコントロールしていく必要がある。

  「犬では人と違って虫歯というのはほとんどありません。大半の歯科的な問題というのは歯周病なんです。」

  猫ではさらに慢性口内炎(破歯細胞性歯肉炎)という厳しい状態もあるが、幸い犬にそれはない。

  「超音波スケラーという器具を用いて歯石を完全に取り去ります。余りに激しく動揺している歯は抜歯せざるを得ません。裂肉歯症候群を生じた歯はしっかりしていても抜歯します。その上でポリッシングといって歯の表面をツルツルに仕上げ再付着を遅らせます。」

  「その後は、お家での日常のデンタルケアをお願いしたいところなのですが、可能なケアはそれぞれのワンちゃんによって違ってきてしまいますよね。」

  そういって、デンタルケアの話を始めた。

  理想的には、歯磨き習慣をつけること。これは人間では当たり前なのだが、なかなか犬では難しい。猫ではほぼ無理と言われている。どうやって習慣付けるかということなのだが、現実的には子犬のころからしつけの一環として始める以外にない。具体的な方法論は子犬のしつけ方教室にお越しいただきたい。しつけとデンタルケアは相互に強化しあう場合が多いのでぜひお勧めしたところだ。

  既に歯周病になってしまっているワンちゃんが子犬であることはないのだから、話は大変だ。いまさら歯磨き習慣はとてもとてもという場合が多い。いくつかのデンタルケアグッズがあり、大きく分けて4つのグループに分類できる。口腔内のミネラル濃度のコントロール・pHのコントロール・不溶性食物繊維による物理的なコントロール、歯垢分解酵素によるコントロールの4つだ。

  ミネラル濃度のコントロールは、「毎日の食事でデンタルケア」をうたい文句にしている某メーカーのフード・pHのコントロールは歯科用オーラルジェル・不溶性繊維による物理的なコントロールは、t/dという処方食フード・歯垢分解酵素によるコントロールはその酵素をしみこませてあるガムが、それぞれ発売されている。最初のフードを除き動物病院でしか入手できないため、病院で相談されればよいだろう。

  「どういったケアが可能で、どれを選ぶかは、後日のスケーリングを終えてから相談しましょう。」

  「それよりもまずご理解いただきたいのは、ほとんどの方が誤解しておられる、ドライフードが歯に良いということです。」

  「ドライフードも缶詰フードもホームメードの食事も、すべて歯垢がたまり、歯石を形成するということです。」

  「統計的には、いずれの食事を用いても歯石の形成には差がないという結果が出ています。少し考えればわかることですが、カリカリしたものが歯に良いのなら、寝る前におせんべいを食べれば良い事になります。そんなばかげたことをする人はいませんよね。おせんべいを食べてしまったら、また歯を磨かないと寝られないですよね。」

  「あくまで歯に良いというフードは、ミネラルの成分に工夫がしてあったり、不溶性繊維を縦配列した特殊なフードであったり、それなりの知恵が導入されています。つまり歯に余り悪くないフードという意味合いです。」

  「食品は食品である以上、食べれば歯垢が歯に残り、そのまま放置すれば歯周病になるということですよね。」

 
  数日後、スケーリングを終え、ピカピカの白い歯になったロン君が退院していった。

  自分たち獣医師の歯科処置における最大の問題は、歯科処置そのものではない。歯科処置をするために全身麻酔を必要とせざるを得ないことだ。しかし、これはどうにも避けようがない。したがって、歯科処置に二の足を踏んでしまうという飼主の方もおられるに違いない。自分たちの麻酔技術のレベルは相当に向上し、極めて安全と自負してはいるものの、全身麻酔は全身麻酔である以上それなりの必然性や必要性なくしては実施すべきでないことも確かだろう。

  「がんばってデンタルケアをお願いします。デンタルフードもデンタルチューもお渡ししましたし、歯石の付着の仕方は以前よりはずっと少なくなると思います。けれども、食事をせずに生きてはいけませんから、歯石はまた必ず付着するということでもあります。毎日歯を磨く人間の歯科でも6ヶ月に1度のスケアリングを勧めています。ワンちゃんでも、デンタルグッズを上手に使って、せめて年に1度のスケーリングは実施してあげたいですね。年に1度の健康診断で麻酔が十分に可能かどうかの判断をしながら、可能な間は続けていく。そうやって健康な歯を維持することは健康そのものを維持することに直結します。歯周病は大量の細菌を血行の良い口腔粘膜上に放置したままにするわけで、相当な数の細菌が血液中に侵入し続けています。二次的に大きな問題を生じることも少なくありません。」

  「よくわかりました。がんばってロンの今のきれいな歯を保つようにしたいと思います。」

とロン君に頬ずりをするお母さん。

  ペロッとお母さんをなめても、くさいと嫌われなくてすむようになったロン君は本当にうれしそうだ。

  「ロン君、よかったね。今からが肝心だよ。」そう心でつぶやいたとき、

  ロン君の真っ白な犬歯がキラリと光ったような気がした。

(文責:よしうち)


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