歯科

ドライフードを飲み込む犬の話

ドライフードを飲み込む犬の話

  「かむ」という動詞を日本語変換してみると「噛む」となる。マイクロソフトのIME2002では第2候補に「咬む」が出てくるが、IME2000では、候補にすら出てこない。小さい頃、「ご飯は良く噛んで食べなさい」と注意されたものだが、この「噛む」は「咬む」としてはいけないのだろうか。家にある貧相なライブラリーの国語辞典や漢和辞典を引いてみても、使い分けに明確な説明はない。英語の「bite」と「chew」の違いが「咬む」と「噛む」の違いというように漠然と考えていたのだが、日本語ではとりあえず何でも「噛む」としておいても誤りではないようだ。しかしながら獣医師という職業を考えれば、「咬傷」と紙一重の場面に遭遇することも茶飯事で、犬の表情やしぐさで「will bite ?」かどうかを洞察する力も獣医師の重要な技量のひとつである。いずれにせよ、「咬」と「獣」は密接な関係にあることだけは間違いなさそうだ。

  次のカルテはと手に取ると、4ヶ月齢のパピヨンのチョコちゃん。3度目のワクチン接種である。診察室に入ってもらい、身体検査をしながら同時に問診を進めて行く。2度目のワクチン接種後も変わりはなく、ワクチンアレルギーもなかったようだ。食欲・一般状態もすこぶる良く、申し分のない健康状態の元気いっぱいチョコちゃんである。針を刺してもチラッとこちらに視線を向けただけで、怖がるような素振りもない。無事に3度目のワクチン接種を済ませたところで、飼い主さんから質問があった。

  「この子、けっこうガッツキで、フードをあまり噛まないで飲み込んじゃうんですけど、大丈夫なんでしょうか?」

  チョコちゃんが家族の一員になって2ヶ月余り、チョコちゃんへの愛情がどんどん膨らんできているお母さんの優しい心遣いがにじみでた質問である。

  「大急ぎで食べるせいで嘔吐したりしませんか。ウンチはきれいですか。」

と、問うと、まったく問題はないようだ。それならあまり心配する必要はないですよと答えたが、まだすっきりしない様子。そこで、人と犬の歯の構造を説明することにした。

  「人間の奥歯つまり臼歯はその字のとおり臼のような形をしていて、ものを磨り潰すために都合の良い形になっています。咀嚼のための歯ですよね。ところが犬の臼歯は先が尖っていて、元来野生の頃には仕留めた獲物の骨から肉を引きちぎったり、小さい骨などを砕いたりするのに都合の良い形になっています。咀嚼のための歯ではなく、ものを飲み込める大きさにするための歯なんですね。だからパピー用のドライフードのように小粒のフードなら、小さく噛み砕かなくても飲み込めてしまえますし、胃に入ってからふやけて膨張しても嘔吐したくなるほどの刺激になっていないのなら、その後の消化吸収には何の影響もないんですよ。」

  そう言って微笑みかけると、安心したような笑顔が返ってきた。ところがまた急に表情が曇り、

  「でも先生、しっかり噛まないと、歯には良くないんじゃないでしょうか? 歯のために赤ちゃんの頃食べていた缶詰フードをやめてカリカリにしたのですけど。」

  なるほどそうなのかと、多くの飼い主さん同様の誤解をチョコちゃんのお母さんも抱いていることがわかった。

  確かに、硬いフードをカリカリと小気味良い音を立てながら食べる様は、いかにもドライフードが歯に良いような印象を与える。しかしながら口腔衛生学的な言い方をすれば、歯周病の原因となる歯垢や歯石の元になるいわゆる食べカスはドライフードでも缶詰フードでも同程度に口の中に残る。統計学上もドライフードを食べ続けている群と缶詰フードを食べ続けている群の歯周病発生率には有意な差がない。要するに同じくらい歯の疾患が発生しているということなのだ。実際、自分たちが寝る前に歯のことを考えてするのは歯磨きであって、固いお煎餅を食べるなどということはしない。当然お煎餅を食べた食べカスが口に残り、虫歯や歯周病の原因になることは言うまでもない。
 
  「よく解りました。そうですよね、スナック菓子みたいな食べ物が歯に良いというのはおかしいですよね。」

と、納得顔のチョコちゃんのお母さん。

  何種類かの歯石形成を低く抑えるための工夫をしてあるドライフードがあること。いわゆる犬用ガムにも色々あり、口腔衛生上好ましくないものも販売されていること。最も良いのは、もちろん歯磨き習慣をつけること。これは、しつけ上も好ましいことで、とてもよいトレーニングになることなどを説明した。

  「受付カウンター横に歯科用品を展示してありますので、受付の者にご相談ください。」

  そう言って診察を終えた。

  受付の後ろからチラッとカウンターの方を覗くと、熱心に歯科用品の説明を聞くお母さんの顔が見えた。その手に抱かれて嬉しそうなチョコちゃんの口元には、小粒の真珠のような乳歯が光っている。「いつまでもそんなきれいな歯でいてね。」思わず心の中でそうつぶやいたのだった。

(文責:よしうち)


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