2002年9月1日
消化器
ありがたくない迂回路の話(その1)
今日も出勤に車を運転して病院に向かったのだが、なぜかいつもと違い、やたら交通量が多い。五・十日(ごとび)だったろうか、事故でもあったのだろうかと想いをめぐらせながらアクセルを踏もうとするが、渋滞の只中では思ったように進まない。イライラしている内にも診療の時刻は迫ってくる。必死で抜け道を考え、裏道へ入った。いつもなら通らない細い道なのだが、遅々として進まぬ幹線路よりはずっと良い。どうにか迂回して病院へはギリギリにたどり着いた。
この迂回路だが、体の中にも種々の迂回路が存在する。特に犬・猫では、傍側循環と呼ばれる血管の迂回路が比較的容易に形成され、外傷や塞栓など、血管の通行障害が起きた場合に、短期間で、迂回して血液を心臓に戻す流路が確保される。しかし、迂回路とて都合の良いものばかりではない。先天的な血管の異常によって、体に不都合な迂回路を血液が流れ、重大な問題を引き起こすような場合もあるのだ。
着替えを済ませ、白衣姿になって診察室に向かうと、臨床検査センターに依頼していたピーちゃんの総胆汁酸の結果がファクシミリで届いていた。ピーちゃんとは、1週間前に来院した5ヶ月齢のヨークシャーテリアくんのことなのだが、「食後よだれを流してボーっとする」とのことで、血液検査・レントゲン検査を行い、血中アンモニアと肝酵素の上昇・肝臓が小さいことが確認されていた。
その時点で、門脈形成に異常がある可能性が高いということで、日を改め、12時間絶食後と食後2時間の総胆汁酸の検査を実施していたのだった。
門脈とは何ぞやから話したほうが良いだろう。全身を流れる血流は、心臓の左心室から全身に向かって押し出され、種々の臓器組織に酸素とグルコースを供給して右心房に戻ってくる。この血液はすぐさま右心室から肺へ送られ、二酸化炭素を放出して酸素を受け取り左心房へと戻ってくる。ほとんどの臓器には、例えば腎臓なら腎動脈と腎静脈というように、心臓から入ってくる血管と心臓へ帰っていく血管が存在する。ところが、胃腸に関してだけは話が少々複雑である。胃腸にも心臓から入ってくる動脈はあるのだが、直接に心臓へは戻らない。胃腸へ入った血流は栄養分を吸い上げ、大きな血管を形成して肝臓に入っていく。そして肝臓のすみずみにまで張り巡らされた類洞という通路を流れて肝静脈に入り心臓へと戻っていくのである。この胃腸から肝臓へ行く大きな血管を門脈といい、胃腸から吸収された栄養分は類洞を通る間に肝細胞に取り込まれる。もちろん、胃腸から吸収されるものは栄養分だけではない。腸内細菌の作る毒素やアンモニアなど体にとってありがたくないものも含まれる。このありがたくないものも肝細胞に取り込まれ解毒される。そうして、胃腸からの血流は単なる普通の静脈血となって心臓へと戻るのだ。
この門脈の形成に関して、先天的な異常が1970年にアメリカで報告された。日本でも1982年に吉内らが報告している。このコラムの筆者自身である。この門脈形成異常とは、門脈流が肝臓を迂回して直接に心臓へと向かう血管に合流してしまうのである。学術的には「門脈―全身循環短絡」とか「門脈シャント」と呼ばれている。これが都合の悪い迂回路なのだ。具体的には門脈―後大静脈シャント、門脈―奇静脈シャント、肝内シャント(静脈管開存)などの迂回路が存在する。その報告以降、シャントの存在が俄然注目され、診断例数も飛躍的に増え、いまでは、最もポピュラーな先天性疾患のひとつに名を連ねるまでに認知が広がった。
いったいこの迂回路のどこが都合が悪いのだろう。胃腸から吸収された栄養分や毒素は肝臓での取り込みを受けずにいきなり心臓に戻り、肺での酸素供給を経て全身へと向かってしまう。一部は肝動脈流となり肝臓での取り込みを受けられるが、大半はそのままなのである。栄養の取り込みや解毒の効率が極めて悪い。従って、血液中にはアンモニアに代表される様々な有害物質が混ざり、発育不良や沈うつ・性格の変化・流涎・ケイレンなどの神経症状(肝性脳症)が現れてくることになる。尿路にもアンモニアなどの物質が流れ出し、結石形成が見られることも多い。肝臓自体も門脈流を受けないまま発育するため小肝症と呼ばれる発育の悪い小さい肝臓になってしまう。
「ものを食べ、消化し、吸収し、加工し、利用して生きていく」という生命の根幹にかかわる部分の異常なのだ。胃腸内で産生されるアンモニアなどの量を抑える薬剤を飲み、食事療法をし、考えうるあらゆる内科的な手を尽くしても、健康な動物の3分の1から半分くらいの寿命しかないというのが現実だろう。ならば、迂回をしないように正常な流路に戻せないものか、と誰しもが考え、迂回路を遮断する外科的手技が考案されている。
検査の結果を待ちわびているだろうピーちゃんのお母さんに電話を入れる。
「もしもし。ピーちゃんのお母さんですか。南大阪動物医療センターの吉内です。検査の結果が返ってきました。絶食時の総胆汁酸が22。食後が212です。お話していましたように、食後に総胆汁酸が急激に増えるパターンというのは、残念ながら門脈シャント以外にはありません。健康な子なら、どちらも25を超えることはないのです。ショックを受けておられることと思いますが、早々に予約を取っていただき、今後どのようにしてゆくか、手術も含め、ゆっくりお話させていただいたほうがよいと思います。」
「わかりました。覚悟はしていました。主人ともどもお伺いしますので、この電話で予約が取れますか。」
電話を保留し、受付になるべく早い予約を入れてくれるように頼んで、ピーちゃんのお母さんの電話を交代した。すぐに受付から折り返し内線が入り、明日の午後1時に予約が入ったと連絡を受けた。ピーちゃんのお母さんは、今電話の前で泣いておられるかもしれないと思いつつ、あすに話すべき、手術のリスクや予後のことなどが頭の中をグルグル巡るのだった。 (以下、来月のコラムに続く。)
(文責:よしうち)
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