2004年02月01日 循環器

心臓の話(その3)

心臓の話(その3)

  暖かいお正月に拍子抜けしてどうもピリッとしない年明けと思いきや、遅れて寒波がやってきた。そういえば、昨年のお盆も猛暑とは無縁な過ごしやすい夏と思っていたら、9月に入って厳しい残暑にうんざりしたように思う。お正月はコートを着込んで白い息を吐きながら初詣、お盆は開襟シャツで汗を拭き拭き墓参りと言う固定的な観念は、季節の風物詩といった郷愁に通じる心の拠り所なのかもしれないが、その目論見が外れたときに、なかなかアジャストできないのがわれわれ凡人の常である。

  動物と共に暮らす新しい生活を思い描き、仔犬を迎えて家族みんなが大いに夢を膨らませている折も折り、その新しい家族の心臓に発見された大きな問題。これをすんなりと受け入れるのには、相当なパワーが必要だ。そして、それに立ち向かい克服しようと決意するのは、並大抵のことではない。今回も教えられた。わずか1ヶ月という短い時間に、こんなにも強い「人と動物の絆」が生まれ、みごとなスクラムが組まれている。自分の使命は、スクラムにインした楕円のボールを、ノッコンすることなく確実にしかも正確にバックスにパスするスクラムハーフなのだ。
  前回コラムのたく君のお母さんから電話があった。

  「先生。先生のところで手術をお願いします。全てお任せしますので、よろしくお願いします。」

  「わかりました。最善を尽くします。」

  自分の中で獣医魂の昂揚を感じながら、手術日程などの打ち合わせをした。

  いよいよ手術当日、すでにたく君は入院室で待機している。先ほど、お母さんに連れられ、ピクニックにでも行くように楽しそうに病院を訪れたのだった。
「よろしくお願いします。」とたく君を看護婦さんに預けたお母さんの眼からは大粒の涙が零れ落ちた。
「大丈夫です。良い知らせを信じて待っていてください。」そう言ってお母さんを見送った。その母さんは自宅の電話の前でまんじりともせずに知らせを待っておられることだろう。

  導入麻酔が確保されたラインから静脈内に入り、たく君の意識は遠のく。気管チューブが挿入されイソフルランが流れ始める。左側の胸が剪毛され、手術室に移され、そして術野が消毒される。心電図、酸素飽和度、終末二酸化炭素濃度、イソフルラン濃度などがモニターされている。
自分は前室で手指をスクラブしている。いったい昨夜は夢の中で何度たく君を手術したことだろう。布団に入り眠りに就くまで、繰り返し繰り返し手技を頭の中で思い描くのが、自分の習慣だ。ガウンをつけグラブをはめた頃には全ての準備が整っていた。

  アプローチは左第4肋間から行う。「始めます。」の声と同時にメスを走らせる。最近ではハーモニックスカルペルという超音波ブレードがあるおかげで肋間開胸に要する時間が大きく短縮された。通常のメスは皮膚を半層ほど切るだけでお役ごめんだ。皮膚の深層から外腹斜筋、最終の肋間筋に至るまでの数層の筋群はすべてハーモニックスカルペルで切開する。切開と止血が同時に行え、出血のコントロールが手早く行える。そして壁側胸膜のみが胸腔と外界を隔てる唯一の遮蔽物となる。「胸腔に入ります。」そう言ってサランラップほどの厚みしかない胸膜を切開する。左の胸腔に空気が入り、全ての左肺は退縮し、中央に規則正しく収縮する心臓が見えてくる。肺葉をよけ、心臓の背側にある大動脈弓に触れてみる。体内で最大径の血管である。この血管の中を細かいコンペイ糖が踊りながら流れているような、ザラザラ、トゲトゲしたようなスリルがリズミカルに触知される。

  心電図モニターの規則正しい発信音に、これまた規則正しいレスピレーターの作動音が加わり、人工的な補助呼吸が開始されている。開創器で肋間を大きく拡げ、迷走神経をペンローズで牽引して保護する。大動脈弓の少し下部、大動脈と肺動脈が独立して並走していなければならないのだが、その部分がZ字状に疎通している。動脈管だ。結紮糸を二つ折りにしループの部分を動脈管の前部で大動脈の向こう側へくぐらせる。ケリー鉗子を用い細心の注意を払い集中しなければならない。たく君の年齢ではまだまだ血管は脆弱で、無理をすれば血管を破裂させてしまう。たちまち生命の危機にさらされる事になる。そして、次にそのループの部分を動脈管の後部で大動脈のこちら側へ再度くぐらせる。後はそのループの部分を切断して2本の結紮糸にし、その糸によって血管周囲の結合識を分離し、動脈管を牽引する。余計な組織が結紮糸と動脈管の間に含まれていないことを確認し、そしていよいよ結紮だ。

  この手術のクライマックスを迎える。結紮糸の結び目が小さくなり、そして動脈管に食い込む。「閉鎖」と小さく叫んで心電図モニターに視線を走らせた。トントントンと3拍、心室性の期外収縮。一瞬の緊張。そして、たく君の心臓は何事もなかったかのように正確な洞調律を再び刻み始めた。酸素飽和度にも終末二酸化炭素濃度にも何の問題もない。無事に閉鎖できたのだ。気を緩めることなく2本目の結紮、そして閉胸。ブピバカインを肋間の切開部分に浸潤しペインコントロールする。皮膚縫合後、設置したカテーテルから胸腔内に残ったエアーを吸引し、覚醒に入る。自発呼吸が戻り、ゆっくりとたく君に意識が戻ってくる。

  何年前だったろうか。米国麻酔専門医のDr.Paddlefordに、

  「覚醒時に動物に優しく呼びかけてあげることが最高のペインコントロールなんだよ。」

  「傷の癒りもうんと早くなるのさ。」

と何時間もの麻酔学の講義の最後に教えられた。科学的な証明は困難に違いないだろうが、自分も心からそう信じている。

  「たく君、偉かったねー。もう走っても大丈夫やでー。」

と頭を撫でながら話しかける。

  手術を無事に終えることができた。たく君とたく君の家族には、夢に見た楽しい生活が待っているに違いない。

  「お母さん。たく君の手術が無事に終わりました。」

  電話でそう話しながら、肩の荷が下りるのを、そして無事に終えることができた満足感を感じる。医学を志す者として恥ずかしいことと認識はしているのだが、どうしても止められないのが、術後の一服。電話を終え、院長室の椅子に腰掛け、ふーっと吐き出す煙のうまさよ。どうあがいても、この仕事とタバコだけは、一生やめられそうにはないようだ。

(文責:よしうち)

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