泌尿器

「お漏らし」の話

「お漏らし」の話

  「泣き面に蜂。」とでも言うのだろうか、悪いときに、悪いことが重なることはよくある話だ。「よりにもよってこの忙しいときに!」とか、「お願いだから勘弁してよー!」とか、泣き言をついつい漏らしてしまうような場面だ。しかし、それらを冷静に受け止め、きちんと対処することこそ、何とか難関を切り抜け、元の平穏な生活に戻れる一番の早道なのだと、あとで思い知らされることも多い。

  さて次のカルテはと手にとると、マルチーズのマルちゃん、2才♀。メモに相談とひとこと書いてある。何の相談なのだろうかと漠然と考えながら、マルちゃんとお母さんに診察室に入ってもらった。

  「何のご相談でしょうか?」と問うと、

  「はい、実は3日前に引越をしまして、荷物もほとんど片付いていない状況なのですが、マルが新築の家が気に入らないのか、新しい家のあちこちにオシッコを漏らして仕方ないんです。」とのこと。

  新築の真新しい畳にマルちゃんのオシッコの跡を見つければ、いくら優しいお母さんといえども、心中穏やかではいられないだろう。しかも引越直後の猫の手も借りたいような忙しさの中ではなおさらだ。

  「新しい家の慣れないにおいが嫌で、自分のにおいを付けようとしているんでしょうか?」と、お母さん。

  「そうですね。動物行動学的には『不適切な排泄』というのですが、平たい言い方をすればいわゆるお漏らしですよね。」

  「そのお漏らしが、ほんとうに行動学的な問題、例えばマルちゃんが転居ということに対してとった難儀な行動なのかどうか。もちろんその可能性もあるのですが、それを考える前に、こんな場合の鉄則があるのです。」

  「それは、身体的な問題つまり病気が存在していないかどうか、まずそれをチェックするということなんです。」

  「お漏らしという問題でしたら、膀胱炎とか、多飲多尿になるような糖尿病や腎不全、子宮蓄膿症といった病気がないか、きちんと検査をしていくということですね。」

  ここまで説明をしたところで、

  「そうですか。でも、引越直後にお漏らしが始まっていますし、引越の前までは元気も食欲もちっとも変わりはありませんでしたし、病気とは考えられないと思うのですが。余りにもタイミングが合いすぎてるので。。。」と、お母さん。

  「そうですね。そういう意味では確かに行動学的な問題かもしれませんが、引越で、生活のリズムも崩れているでしょうし、食べたり水を飲んだり排泄したりというのが思うように出来なかったかもしれませんから、身体への影響もあったかもしれないですよ。」

  そんなやり取りのあと、念のためにということで、簡単な血液検査と尿検査をさせていただくことになった。

  結果はというと、血液検査では異常なし。しかし、尿検査では潜血+++、pH8.0、白血球+++、尿沈渣にバクテリア多数という、膀胱炎尿だった。

  「尿検査に問題がありました。細菌性の膀胱炎ですね。」そう伝えると、

  「それで、オシッコが近かったのですか。。。」と言ったきり、お母さんは言葉を失ってしまわれたようだった。察するに、お漏らしではずいぶんマルちゃんを叱ってしまわれたのかもしれなかったのだが、そこはそれ、お母さんの威信のために一言も言及はしない。

  「引越でマルちゃんのトイレの場所や、ひょっとするとトイレそのものも替わってしまって、ずいぶんとオシッコを我慢していたのではないでしょうか?」と話しかけると、

  「はい、結局トイレでは一度もしてくれなくて、どうしようかと思っていたら、あちこちにお漏らしが始まって。。。」

  「オシッコを我慢すると膀胱炎になるというのは本当なのですか?迷信ではないのですか?」とお母さん。

  「いえいえ、十分に医学的な根拠があります。」と、膀胱の生理学的な機能の説明を始めた。

  膀胱というのは、腎臓で常時作られる尿を、1日に何度かの排泄ですむようにためておく袋のような臓器で、伸縮性にすぐれ、大きく膨らんでも尿がにじみ出ないような移行上皮という特別な粘膜と、丈夫な筋層から出来ている。膀胱に限らず管腔臓器の中は外界とつながっていて体の中であってその内腔は体の外なのだ。しかし、その膀胱の内腔は無菌的でなければならなず、そのためのシステムがいくつか備わっている。その中で最も重要なものは排尿という動作それそのものなのだ。オシッコがたまり、尿意を催し、トイレに行く。便器に向かって出でよと念ずれば膀胱のすぐ尿道寄りに存在する括約筋がゆるみ、時を同じくして膀胱壁を構成する平滑筋が収縮を始める。神経学的に非常に複雑かつダイナミックな神経伝達の結果、排尿が始まり、ことを自然に任せれば、1滴残らず尿は便器の中へと吸い込まれていく。これが重要なのだ。オシッコを我慢していた間に尿道口から細菌が侵入してきたとする。括約筋をくぐりぬけ膀胱内に到達した細菌は2→4→8→16と対数関数的に分裂を繰り返し、ある一定の菌数に達して膀胱粘膜に定着すれば感染が成立し、膀胱炎ということになってしまう。しかし、それまでにオシッコごと細菌を押し流してしまえば、膀胱内はまた無菌状態に戻るということだ。長時間オシッコを我慢すれば、細菌に増殖の時間的猶予を与え、膀胱炎になりやすくなるというのはこういう理由からなのだ。

  「よくわかりました。引越でトイレも替わって、ずいぶんと我慢していたでしょうから。そのことにかまってあげる余裕もなくて可哀相なことをしました。膀胱炎になって、オシッコが近くなって、あちこちお漏らしするようになってたんですね。」

  「それで、膀胱炎ってすぐに治るものなのでしょうか?」

  「大切なことですね。」

  「人間で、膀胱炎が癖になってしまったという女性のお話しを聞かれたことはありませんか?」と、今度は治療の説明を始めた。

  細菌性の膀胱炎の治療は抗生剤で細菌をやっつけることで達成される。膀胱炎の症状は抗生剤を服用し始めると数日で無くなってしまう。これは、服用した抗生剤が尿中によく排泄され、膀胱には抗生剤がしっかり溶け 込んだ尿がたまるため、尿中に存在する細菌はまたたくまに駆逐されることによる。しかし粘膜に定着した細菌はひだの中に隠れるように増殖しているため、それをすべて駆逐するにはそれ相当の期間の抗生剤の服用が必要だ。つまり、症状が消えるのと、膀胱内から細菌が一切いなくなるのとには、かなりの時間的な開きがあり、症状が消えてからも2-3週間は抗生剤を服用する必要があるのだ。けれども、最近の風潮として薬の服用は最低限にとどめたいという、薬物に対する不安感みたいなものがある。その結果、症状がなくなれば服用をやめてしまい、しばらくすると粘膜にもぐりこんで生きながらえていた細菌が息を吹き返し、膀胱炎の再発となってしまう。膀胱炎の際の抗生剤服用に関しては、必要十分量を必要十分期間服用するということが肝要だ。

  「初発の単純な膀胱炎ですと、一般的な抗生剤を3週間程度服用していただければ、十分と思います。服用開始から毎週尿検査を行い、服用終了後しばらくしてさらにもう一度尿検査をして再発がないことを確認するのがよいですね。」

  「よく分かりました。しっかりとお薬を飲ませます。」

  きっぱりとお母さんは良い返事だった。

  マルちゃんはというと、問題行動の嫌疑が晴れ、さばさばした気分だったに違いないのだが、「お大事に。」と薬袋をお母さんに手渡そうとしたとき、診察室の床にお漏らししてしまった。

  「すみません。どうしましょ。」とあわてるお母さんに、

  「かまいませんよ。膀胱炎の症状は2-3日でなくなると思います。それまではお漏らししても仕方ないですからね。」と微笑みかけると、そのお母さんの足元で、

  「(サンキュー!)」とマルちゃんがウインクしたように見えた。

(文責:よしうち)



大阪市の南大阪動物医療センター

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