2008年10月1日
神経科
「老い」の話
後期高齢者医療制度の見直しが取りざたされている。確かに年齢だけで老化の度合いや健康度を測るわけには行くまい。先日、大阪市・大阪府・大阪市獣医師会・大阪府獣医師会共催の動物愛護フェスティバルのセレモニーが海遊館ホールで開催された。長寿動物の表彰に引き続き、しつけインストラクターの中塚先生による「犬と猫の老い支度」と題した講演が行なわれた。立ち上がることも歩くことも出来なくなっていた年老いたG・リトリバーくんの介護、リハビリ、補助具の解説などを通じ、彼を取り巻く家族の努力や回復への願い、あふれる愛情、そして歩行できるまでに回復した彼自身の喜びとそれにも勝る家族の喜び。感動的な逸話が次々と披露される。家族と動物が長年はぐくんだ絆の強さを感じずにはいられなかった。
この2ヶ月ほどのあいだに、自分の症例の中でも3例ほど寝たきりになってしまう恐れのあったワンちゃんたちがいた。ひとりはシーズーのコタくん。ひとりはG・リトリバーのユウちゃん。ひとりはパピヨンのアリスちゃん。それぞれに12歳オーバーで、全くの健康体ではない。
コタくんは椎間板ヘルニアの既往があり後肢の踏ん張りが弱く、僧坊弁逆流症の初期。ユウちゃんは乳腺腫瘍の既往歴があり、軽度の肺動脈弁狭窄を持っている。アリスちゃんは先天性の門脈異常があるものの一部に発達した門脈枝を持ち、12年間内科的治療を続けている。3人とも家族の愛情に支えられ、毎日の投薬を欠かすことなく、それなりに元気な12歳を迎えている。いずれのご家族とも長いお付き合いで、ツーといえばカー×2位は普通に返ってくる。何よりこの3人のワンちゃんたちの顔を見ただけで、調子のよしあしが自分には分かるといっても良いくらいなのだ。
この3人に1年ほど前から老化が目立ち始めた。白髪が増え、足腰の衰えが目立つ。緩慢な動きに、時折わがままが顔をのぞかせる。おのずと話題も老いや寿命のことになってしまう。
「先生、まだまだ頑張れますよね。」とプレッシャーのかかる質問がどの家族からもこぼれる。
「そればかりは、天寿ですから。最善の手は尽くしますし、何より幸せな最期を迎えさせてあげたいですよね。」と答えるのが精一杯だ。
長年この仕事をしていると、命の尊さや家族の絆の素晴らしさをしみじみと感じると同時に、命あるものの無常やその厳しさを思い知らされる。そして、その時に自分がすべきことはと常に自問を忘れぬようにと心する。真に最善を求め続けることの重圧は何年この仕事を続けても変わることはない。
先月くらいから自分の名前やいつもの生活習慣が分からなくなり認知症の傾向が出てきていると感じていたコタくんが歩けなくなって来院した。神経学的な検査では元気に歩いている頃と大きな違いはない。右後肢のCP(固有位置感覚)が低下している程度なのだが、酔っ払いの酩酊よろしくヘタヘタと腰砕け状態で歩けない。何より、頭を持ち上げるのが大変そうで張子の虎のようにあごが今にも床につきそうな姿勢をしているのだ。頭蓋内の疾患も考えねばならない状態だ。
アリスちゃんはここ数ヶ月狭いところに入りたがり、うまく出てこられず難儀をすることが多くなった。さらにトボトボと部屋を徘徊することが多くなり、いかにも覇気がない。アンモニアも高めでアルブミンはジリ貧状態。門脈異常からの肝性脳症や肝機能の低下が顕著に現れ始めている。フルマゼニル治療への反応も初回こそ著効と思わせるものはあったのだが3度目には皆無に等しかった。肝性脳症というよりは認知症といった方が良いような頭をうなだれる張子の虎のような姿勢が気になった。
いたって元気だったユウちゃんなのだがここ2ヶ月急激に動きが鈍くなり、自力で起立できないこともある。老化の進行に体重の大きさがのしかかってきている。両の大転子部には床ずれの兆候も現れている。覇気の無さは顕著なのだが、意識は明瞭で血液検査にて軽度の貧血が認められた。
コタくんとアリスちゃんにはDHA+EPAのサプリメントを認知症の改善を期待して飲ませてもらうことになった。ユウちゃんにはさらにT4とFT4の検査を実施し、甲状腺機能低下を確認してレボチロキシン製剤を飲ませてもらうことになった。
さてその後の経過はというと、それぞれに処方した薬剤に対する反応よろしく、眼に生気がよみがえり、活動性を取り戻し、さがっていた頭を持ち上げ、颯爽とは行かぬまでも歩き始め、華麗なる復活を果たしたのだった。ご家族の皆さんの喜びも想像に難くない。
すべての症例でこうは行くまい。けれども、老化や寿命という言葉で逃げていてはいけない場合も多いのだと再確認したのだった。いつまでこの良い状態が続くのかは誰にも分からない。自分はというと、ただひたすらにご家族の期待に応えようと努力する以外にはない。冒頭の中塚先生は、過去の楽しかったシチュエーションの再現が良い刺激になって動けるようになる動物もいると語っておられた。高齢になれば規則的な運動、遊びなどの刺激、状態に応じた食事、定期的な健康診断が欠かせないとも。ご家族の皆さんにそんな話をしながら、獣医師の自分としては、その健康診断を通り一遍の健康診断に終わらせないように、家族の視点を持った「痒いところに手の届く健康診断」となるよう今後も心がけていかねばならないと感じた今日この頃なのだった。
(文責:よしうち)
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